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2001/04/18 Wed 晴のち雨 暖 「崩壊、自我同一性も」


X階X号からはいつもオペラのCDに合わせて歌声が聞こえてきた。X階X号には空き巣が入って新聞沙汰になったこともあった。X階X号の兄ちゃんはX階X号のロリ声の姉ちゃんとつきあっているみたいだった。X階X号のお兄さんは感じのいい人で、浜松にいるはずが留年して静岡にいた。X階X号の兄貴はここの長老だったけど、新入りの私にもよく話しかけてくれた。X階X号の彼からテレビの写りが悪いけどどうにかならないかと相談されて、行ってみたけど直らなかった。X階X号のお姉さんは化粧が濃くて、ほとんど帰ってこない謎の人だった。そして2階2号には自分がいた。

駆けつけると第三葵荘は既に跡形も無くガレキの山があるのみ。最後に水道の配管を外しているところでした。左下の写真は在りし日の勇姿(1999年8月2日撮影。このとき既に私は引っ越した後)。そして右下の写真が今日、強者共が夢の跡。

before after

というわけで、先日のショッキングな出来事というのは、私が静岡市にいた一年間を過ごし、このサイトのタイトルの由来にもなった「第三葵荘」(内部写真)の取り壊しであります。何だそんなことかよ、ハイそんなことでありますよ。しかしですね、どういうわけか分かりませんけど、自分の中では相当ショックな出来事なのですよ。15日の朝わざわざ知らせてくれた連れもショックを隠しきれない様子でした。やっぱりいろいろね、味のある住まいでしたからね。来た人しか分からない何かがある、しかしもう二度と訪れることはできない伝説の場と化してしまいました。

もともと静岡大学は静岡駅に近いくらいの位置にあったそうですが、手狭になってきたので、1960年代だかに静岡市の南東のはずれ、現キャンパスの位置に移転してきたらしいです。おそらく、第三葵荘はそれとほぼ同時に建てられたものでしょう。でも比較的最近リフォームされたようで、内装は意外ときれいなものだったのです。となりに建っていた第二細川荘とともに当時満室だったので、まだまだ当分は風呂トイレ共用の安アパートとして生き残るだろうと思っていました。しかし、第二細川荘も一緒になくなってしまっていました。

第三葵荘は本当にこのNet上にしか存在しないものになってしまいました。かといって、サイトの各コーナーの表題を「○階○号」なんてする気はないのですけどね。引っ越しの日以上に複雑な心境、深い感慨ですが、空しさを引っ張っても仕方ない。これからもヴァーチャルアパート第参葵荘をよろしくお願いします。イヤ、なんか「ヴァーチャルアパート」という響きがいいから言ってみただけです。

昨日は2時間半しか寝ていないのですが、朝7時に東京を出発してバイクで走ってきました。ずっと下道で来る予定だったのですが、さすがに時間がかかり過ぎるようなので、厚木-御殿場間のみ東名高速を使いました。静岡で第三葵荘跡地に寄って上の写真を撮って、当時のバイト先サークルK静岡石田店にも寄ります。7年前の開店当時から務めていたパートのたけださんが辞めたそうです。夕方に私と一緒の時間でいろいろ指導してくれた、店長の妹さんももう店では働いていないそうです。

再び静岡を出発して、国道1号を西へ。藤枝と島田の間、国1の渋滞を避けるためにいつも使っていた裏道が舗装し直されてきれいになっていて、さらに橋も新しく一本かかって、素晴らしく使い勝手の良い道に生まれ変わっていました。私も以前は浜松-静岡間を毎週のようにバイクで往復していたものですが、そのときに早く完成してほしいと思っていた道が今ごろ完成したわけです。というわけで浜松-静岡間をよく走る方に朗報、島田工業高校の北沿いの、東西へ走る道路が全線開通しましたよ。

約7時間をかけ、浜松へ到着。今日は学校で健康診断です。これに出ないと健康診断書が発行されないので何が何でも受診する必要があるのです。受診後、さすがに昨日の睡眠不足のために眠くなり、研究室でウトウトしつつ夜になって、イカンイカン本田技研工業へのエントリーシートを今日の消印で出さなければいけないのでした。おととい結局半分しか書けていなかったので、残り半分を記入して、浜松郵便局へ行って投函。

就職活動家その他の方に朗報。尋ねてみたところ、24時間営業窓口(「ゆうゆう窓口」のこと)を設置している郵便局なら、日付が変わるギリギリまでに持っていけば消印はその日のを押してくれるそうです。ただし、ギリギリでも日付が変わってしまったら、「昨日ので押してもらえませんか」というのはできません。当たり前ですが。

すき屋で大盛りセット(500円 tax include)食して、本日は連れの部屋に泊。


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