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2001/01/20 Sat 曇 極寒 「サービス満点」


昨日からの続きですが、11:30に寝て2:30に起きて、眠気はまだ当然完璧に残っているわけですが、フラフラフラと外へ出て、愛車CBR250RRのチョークをいっぱいに引いてエンジン始動。こんな厳寒の夜に一体どこへ行くのですか。それは水戸ですよ水戸。いや、以前のように水戸までバイクで行くと帰りが死ぬので、本当は鉄道で行きたいのです。ところが夜行列車ムーンライトながらの指定席券がもう売り切れだったので、沼津までバイクで行って始発に乗るという。年末のときと同じパターンですな。

というわけで眠たい目をこすりながら、いやフルフェイスのヘルメットなのでこすれませんが、国道1号を東へ。途中袋井と掛川の市境あたりで、前のほうのクルマが全部ハザード焚いて止まっているので「ぐへぇ渋滞か」と意気消沈し、それでもクルマの間を縫って進んでいくと、地面には粉々になったガラスの破片が。ゲッこりゃ事故か! そのへんにthe bodyとか転がってたらイヤだなと思いながらも進むと、目の前には横転どころか反転して、天地逆さまになった乗用車と、それに追突したと見られるクルマ2台が現れました。そして路肩にはワイシャツ姿でうなだれる男性の姿が。うわー、たぶんこの人、仕事帰りの運転中フッと一瞬居眠りしてしまって気づいたときには目の前に中央分離帯、激突してひっくり返ってしまったのでしょう。気の毒に、気の毒に。しかし見たところ奇跡的に大きなケガは無いようで、それが不幸中の幸いか。

しかしまぁもう少し早く出発していたら私の頭上にクルマが降ってきたかもしれなかったですね。それを考えるとゾッとするどころではないですが、一方で、ここでクルマが全部足止めを喰っているということはこの先の道はガラ空きということでありまして、バイクの私は歩道に出て事故現場を迂回し、誰もいない国道1号を疾走。おかげで浜松から沼津まではジャスト2時間という新記録。距離にして140kmあるのですが、平均時速は計算しないのがお約束であります。

出発したのが3:00だったので、沼津始発の4:55には間に合いませんでしたが、次の5:17には十分間に合いました。寝て起きるともう東京です。乗り換えて上野へ。さらに上野で常磐線に乗り換えます。駅構内の看板を見ると「常磐線」「常磐線快速」「常磐線各駅停車」と3種類あって、なら当然快速っしょ、ということで快速のホームへ降りそうになったのですが、よく見てみるとそれは水戸よりずいぶん手前の取手までしか行かないようなのであわてて「常磐線」のホームへ。こっちのホームが常磐線全線で、「快速」「各駅停車」は近郊区間だったのですね。これだから首都圏の複々線は分かりにくい。

で、水戸に何しに行くかって、前回と同じく「BIT GENERATION 2000 テレビゲーム展」だというのはいわずもがな、特に今日はヒラ坊ことゲームアナリスト平林久和と作曲家すぎやまこういちの対談があるというので、これは絶対聞き逃せないだろうと。さて列車は土浦を過ぎ、車窓からの風景は見ているだけでも寒くなるような荒原ばかり。関東地方とはいえもうこのあたりは東北地方のような気がしてきます。水戸に到着したのは10:00くらいで、浜松を出発してから約7時間の道のり。

ゼミの院生である茂内氏と合流し、会場の水戸芸術館へ。中へ入ると、早速ロビーにヒラ坊発見! 茂内氏があらかじめメールを送ってれおいてくれたので、声をかけるとすぐにrecognizeされて具合が良いです。ミュージアムショップで立ち話などするうちに、この芸術館で以前催された展覧会「なぜ、これがアートなのか」のカタログを我々のために購入して寄贈してくださり、のっけからヒラ坊サービス満点っすよ!

その後、茂内氏が制作し(私も編集補佐し)た冊子「インタら」をお見せすると、以前の大塚ギチ氏インタビューの内容を掲載したページに興味津々の様子。「そりゃ、大塚ギチに言わせりゃ俺はサブカルチャーコンプレックスかもしれないけど、彼はたまたまゲームの知識とバーチャファイターの勢いが結びただけで、例えば桝山さんだったらモダンアートで、赤尾先生だったらメディア産業論だったわけで、俺に言わせれば結びつくものが違っただけでみんな同じなんだよね」と、誌面の内容に反応してくれて我々も嬉しい限り。


午後の対談が迫っているというのに、ヒラ坊は時計も見ないで私たちにつきあってくれます。「テレビゲームを分析する方法論って、これからは理系の考え方、数学や化学を取り入れていかないと進まないと思う。PostPetが出てきて、これはゲームかゲームじゃないかっていう議論があったけど、そんな議論はもう不毛だよね。文系の考え方で、テレビゲームって何? と考えると、いくら考えても結局答えは出ない。(テーブルのコップの水を指して)水って何だろう? って考えるだけじゃ、いつまで経っても水は水でしょ。でも、化学の考え方を導入すれば、HとHとOだってことが分かる。HとOとOじゃ、気体のままでどこからも水なんて出てこないのに、HとHとOが融合するときだけ水になる。化学式でこの『融合』っていうのは、数学で言えばプラスの計算。テレビゲームを研究するときも、これからはこういう考え方を採り入れていくべきだと思う」うーん名言です。でも言葉の艶やかさに惑わされて私の解釈が間違っているといけないので、次のように確認してみました。「つまり、文系の考え方だけで『水って何だろう』を突き詰めようとすると、詩人になるしかないということですね?」「その通り!」

ひょんなことから合流したスパイスコーポレーション(名古屋地区でテレビゲーム店「MAG MART」を展開する会社。MAG MARTって高校時代学校帰りによく立ち寄りましたよ)の方とヒラ坊と我々で、芸術館内のレストランにて昼食。えーと、結局ゴチになってしまいました! すいません、今度名古屋行ったときはMAG MARTで何か購入させて頂きます。結局ヒラ坊は対談の30分前くらいまで私たちに時間を割いてくれました。すぎやまさんとの対談の打ち合わせとか、大丈夫なんですか? いやほんとヒラ坊いい奴、サービス精神抜群ですよ。会えて良かった!

すぎやま平林対談を待つ列はできていましたが、整理券等はなくても入れる様子。おお、はやのん氏神原氏も会場にお越しです。お忙しい中ご苦労様です。はやのん氏はパチモンピカチ*ウの指輪が素敵でした。30分ほど待ち、両氏が会場に入ってくると、場内はまさに「水を打ったよう」に静かになります。生すぎやまを見るのは名古屋でコンサートを聴いたとき以来4年ぶりか。

対談といっても今日のメインはすぎやま氏ということで、ヒラ坊はいつもよりかなり口数抑えていてさすがプロ。話はすぎやま氏の生い立ちから始まり、現在のゲーム音楽界にもの申す、ゲームの博物学的収集がもっとされるべき、といった「元祖プロゲーマー」らしい話がどんどんあふれてきます。相変わらずすぎやま氏もサービス精神旺盛で、90分の間聴衆は飽きる気配がないどころかどんどん話に引き込まれていきます。

一通りの話が終わった後質疑応答タイム。こういった場所では極力何か質問しなければ気が済まない人間なので、早速手を挙げます。質問内容は「ゲーム音楽、あるいはそれに限らず流行歌等でも、『今』すぎやまさんが注目している音楽、これというものがあれば教えて下さい」です。ベタベタな質問ですが、すぎやまこういちに対してはハッキリ言ってかなり意地悪な質問ではないか、と思いながらの発言でした。とにかくメロディ・リズム・ハーモニーが全て、サウンドで聴かせるなんてもってのほか、という主張をそれこそドラクエ1のころからされているすぎやま氏ですから、現在の、どんどん新しい方向へ価値を見出している音楽シーンとはなかなか接点を見つけにくいのではないか、と思うのです。そして、予想通り答えは「うーん……実はそれがないんだよね」というものでした。

私は個人的には、音楽に限らず全ての表現はどんどん新しい価値を見出していったほうがいい、と思っています。だから、正直いって、この場ではすぎやま氏の姿勢に対して疑問を持たざるを得ない、そういう部分が自分の中に生まれたのは確かです。ですがしかし、メロディ・リズム・ハーモニーという何百年も続いている基本が覆されるのは、まだまだ何百年も先のことでしょう。そして、いくら新しい価値を求める人間であっても、対談の中でドラゴンクエスト3の街の音楽が流されたときは、思わず背筋にゾクッときてしまうわけです。だから、すぎやま氏のストイックなやり方は本当に本当に素晴らしいものなのです。ただ、何というか、もう今後、例えば3のラーミアの曲のような、一線を超えるものはほとんど出てこないのではないか、そうも考えてしまうのです。

対談終了後、先ほどのスパイスコーポレーションの方と一緒に、ごくごく内輪の打ち上げに参加させていただきました。ヒラ坊・すぎやま氏・本展覧会プロデューサーの桝山氏他わずか数名に同席させていただきひたすら恐縮な我々。すぎやま氏に携帯の着メロを聴かせていただきます。もちろん曲はドラクエの曲です。クレシェンドやリタルダンドなんかもしっかり再現されていて音符ひとつひとつのデュレーションも細かく異なっています。最近の携帯は本当に表現力あるなと思ったら「メーカーの連中に曲の入力やらせたら、とにかくダメなんだよ。全然まともな音を出してくれない。しょうがないから結局僕が全部監修することになって、それでも全然ダメだから、最終的には3トラックにアレンジするところから全部僕がやって、MIDIファイルを作って渡したよ。端末でいうとN**のはヒドイ音だね! 富**なんかも論外だよ、とても聴いていられない! 一番再現性が高いのはパナソニックかな」いやー、どんな携帯マニアでも、そこまでこだわる人いませんぜ。

「でも、これだけやっても僕は全然儲からない。ほんとこだわりだけでやってるよ。結局儲けているのはドコモ。iモードって、おいしいところは全部ドコモが持ってっちゃう。ドラクエの堀井さんやダビスタの薗部さんみたいに、iモードのコンテンツで長者番付に載るような人が出てこなきゃいけない。クリエイターを育てなきゃ。それをせずに全部搾取しちゃうって、これ長期戦略で見たら絶対間違ってる。自分の首締めてるよドコモは!」と、我々も圧倒されるほどガンガン正論をぶつけてきます。


「ほんと日本は何でもお役所体質。この間中央道のサービスエリアで道路情報見たら、首都高速の部分だけきれいに道路が真っ黒に表示されてるの。首都高はJHとは別だから情報がないって、そんな、道路はつながってるんだよ! 東京なんて首都高の混み具合で時間が決まるというのに、肝心の首都高の情報が見えないなんて!」そして私「でも、首都高の料金はハイウェイカードで支払えますね。お金を取るところばっかりしっかりしていて……」「まさにそう!」

いやー、本当のすぎやま節がここまで軽妙だとは。「結局、人の気持ちを考えられないというのがいけないということ。首都高でも、利用者の立場で道路を作るならこんなことにはならない。ゲームの音楽でも同じで、僕の強みはプレイヤーのことを考えて音楽を作れること。映画音楽は登場人物の心情をバックアップするけど、ゲーム音楽はさらにプレイヤーの心情までバックアップしなきゃいけない。幸い僕もゲームプレイヤーだから、このゲームのこの場面はどんな情景か、そしてプレイヤーはここでどんな気持ちになるか、それを考えて曲作りができる。今のゲーム音楽を聴いていると、果たしてそれを考えて作ったのかなー、ただちょっとかっこいいような音楽をくっつけてみただけじゃないかなー、そんなのが多すぎるよね」

というわけで結論は「人の気持ちを考える」ということに落ち着きます。当たり前ですけど、こうしてお話いただけると、本当に肝に命じなければと思いますよ。しかし50歳も下の若造には本当にありがたい話ばかりでした。と同時に、すぎやまこういちホント若いよ、と思いましたね。最新の技術的な話も何のその、音楽の引き出しだけでなく全ての知識の引き出しが非常に多い人だと感じました。

6:30に水戸芸術館はクローズなので、出てきてバス停へ。ゲッ雨ですよ雨。帰りのバイク道中を考えると泣けてきますがいまのところそれは考えないようにして水戸駅から上野行きの電車に乗り込みます。あっ、気付かなかったけど、車両形式を見るにつけ常磐線って交流電化区間か。いやそんなことどうでもいいですけどね。そのうち雨は雪に変わり、ダイヤの乱れが心配されましたがほとんどそれはなく、上野まで約2時間、乗り換えて東京へ、そして東海道線で熱海へ、さらに乗り換えて沼津へ。沼津に着いたのは日付が変わって夜中の12:37。沼津まで来れば雪が積もっていることはありませんが、路面凍結があるかもしれないのは恐ろしい。

土曜の夜の国道1号は本当にガラガラです。おかげであまりにも暗いので路肩が分からずガードレールにぶつかりそうになったり。もっと反射板たくさんつけてくれよ建設省もとい国土交通省。静岡まできたところで、2年前までの私のバイト先、サークルK静岡石田店へ。知っている深夜帯店員を発見。

「ゲッ、なんかネクラな奴が来たなと思ったらやっぱりお前か」「うるせー」「しかし丸2年ぶりだな、どうよ」「見ての通りよ」「何かないの、急に女がたくさん寄ってきて困るとか」「だといいけどね、なかなかそういううまい具合には」「同じく。今日はまた何で?」「東京方面に用事があって、沼津からバイクで来た帰り」「この寒いのに沼津までバイク! バカだなお前」「はい、バカです」「東京かー、遊びに行くならいいけど、俺就職は地元か静岡県内だなー。東京はお前みたいなのがいっぱいいそうでヤだよ(笑)」よく分かってるじゃねーか。このように、私はこの店に半年しかいなかったにもかかわらず、多大なる影響を残していたのです(半ウソ)。やはり、静岡で唯一の帰るべき場所ですな。「就職活動で浜松行くと思うから泊めてよ」「おう、ぜひ来やー、駅近いし。それじゃ帰るわ」「じゃーまたいつか」「また。もう会わねぇかもしれんけど(笑)」あ、連絡先教えるの忘れた。

そんなこんなで静岡を後にし、既に往復数十回を数える国道1号浜松-静岡区間へ。山あいの部分に来ると、これまでにない特濃の霧が発生。うわ全然前見えん。これまで「目をつむっていても帰れるくらいの国道1号」などという誇張表現を使うことがしばしばありましたが、今回は誇張ではなくて本当に目をつむっているようなものですよ。この濃さの霧が静岡-沼津間で発生していたら、本当にそこから動けなかったでしょうね。うわっ前から何か白く光る固まりが近づいてきて横を過ぎていく、と思ったら対向車でした。山間部を抜けて袋井のあたりまできてようやく霧は晴れて安心。ゆっくり走ってなおかつ寄り道もしたので、浜松帰還は4:00くらいでした。丸半日以上ただ移動していると、さすがにちょっと疲れるわ。


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