2000/11/10 Fri 雨 やや寒 「刺激物」
というわけで大塚氏到着。ひょっとしたら怖そうな人なんじゃないかと思っていて、正直言って私ちょっとビクビクしていたのですが、全然イカツイ感じなくて普通の兄ちゃんじゃん。「うわー、ほんとに名前書いた紙持ってるよ」などと言って照れてるし。安心。学校の研究室へ行って、後期には大塚氏が編集に携わっていたゲーム雑誌「Hippon SUPER!」のバックナンバーをお見せすると、こちらからはまだ何もネタ振りをしていないのに話が始まって、いきなり濃度の高い話題がボンボン出てきてしまったので、ひとまず時系列に沿って話していただくことに。 宝島社に入ることになった経緯、Hippon末期に起こった宝島社の経営方針転換、編集部とライターとコアユーザと市場との間の温度差。ゲームライターという職業の特殊性。宝島社を飛び出して「トウキョウヘッド」を書くに至った経緯。いつもいつも後ろ向きなゲームマスコミに風穴を開けなければいけない。とにかく業界内がヌルい。 刺激物にならないものは作っても仕方がない。ある対象(テレビゲーム)に対して、いつまでも同じ場所から同じ見方しかできていない。一つの対象でも、もっといろいろな見方があるだろ、もっと面白い切り口があるだろ、それをライターが自分の手で企画して刺激になる原稿もの書かなくてどうする、ヌルい所にいつまでもとどまってちゃどうしようもないだろ、という。 大塚ギチ氏はひょっとしたら最近もうそれほどゲームに興味を示していないのではないか、と私は思っていたのですが、それは私の対象の見方がいかに型にはまったものでしかなかったかということの現れだったのですね。対象の切り方というのはある決まった方法があって、それに忠実に切っていかなければならない、と私は思い込んでいたに過ぎないのですね。ゲームがダメなんじゃなくて、切り方がダメになっていたのですよ。大塚氏のお話を聞いて、今日一段上のステージに上れたような気がします。 話を聞いているうちに、何というか、やっと「おたく」と呼べる人に出会ったのではないか、という感じがしてきました。自分の知識に確かな自信があって、なおかつ自分なりの切り口を提示していける。単純な知識量も、対象の捉え方も、世間一般で言われている「おたく」というような層なんか目じゃないと思うのですよ。ちょっと前に、「おたくって、実体はどこにもなくて、濃い人と薄い人の濃度差としてでしか存在しない、相対的なもの」と書きましたが、少なくとも私から見ると、大塚ギチ氏はおたくでしたね。私の「おたく」の捉え方がおかしいだけかもしれませんが。 これまでいろいろな方をゲストにお招きしましたが、今日はその中で一番電波がピッタリ同調する日でした。これまで自力でやってきたという事実がある人だから、すごく説得力がある。最も街の温度に近い感覚を持っている(と、少なくとも私は思いました)人だから、すごく共感できる。いかんいかん、ひょっとしたらなんかだまされとるかもしれん。でも、ほんといい話聞けたから、いいか。 浜松駅南の和食屋へ移動して、大塚氏を囲んでうなぎを食します。昨日まで禁酒していたので、ビールが非常においしいのです。大塚氏が最終のこだまで帰られた後、あまり周りのみなさんは乗り気ではなかったようなのですが、無理矢理白木屋へ連れていき、何カ月ぶりかに大勢(といっても6名でしたが)で飲みに出かけました。うちの研究室の人間には酒好きがいないので、あまりこういう所はみなさん好きくないかな、とも思ったのですが、何だ、連れてこりゃみんなそれなりに楽しめるじゃん。安心しましたが、一方で逆につまらないような。 その後、自転車で私は学校へ。途中ローソン布橋店で口直しにキリン「クリアブリュー」を購入して、研究室で飲用。エッこれサイダーだと思って購入したのですがアルコール入っていたのですか全然知りませんでしたよハハハハハハハ。 |