2000/10/27 Fri 〜 2000/10/28 Sat 「墓参り」
4:00に寝たのに起きるのは8:30で。明日28日から水戸芸術館芸術文化センターで「BIT GENERATION 2000 テレビゲーム展」が開催されるので、水戸へ向かうことに。金がないのでバイクで行くしかないのですが、それだと水戸まで10時間以上かかりそうなので、前日に出る必要があります。というわけで27日朝9:30に浜松を出発。東へ向かい、静岡大学静岡キャンパスで昼食。さらに東へ。いつもは混むはずもない国道1号富士由比バイパスで渋滞。東名集中工事のせいでしょうか。
せっかく私の158427円の墓参りに来たのですから花でも供えたいところですが縁起でもないのでさすがにそこまではせず、さらに淡々と東へ。箱根を越えた後は西湘バイパスを飛ばして、でも新湘南バイパスは高いから下道走って、横浜市内から第一京浜(国道15号)走って、夕方5:45に品川区大井へ到着。 大井の連れのところへ行って、一緒にフラフラと渋谷へ出かけて、今なら100円安い松屋で夕食を食して、バナナレコード渋谷店でYMOの「ライヴ・アット・武道館1980」を1200円で購入して、HMV渋谷とタワーレコード渋谷店を見るも不作でゲンナリ。大井に帰って、寝るのは12:00過ぎに。 |
5:00前に起きるも、何だかんだで出発するのは5:45になってしまいました。レインボーブリッジを渡って湾岸道路(国道357号)へ出て、船橋まで飛ばします。一般道なのに100km/h出しても流れを乱さないくらいみんな走ってます。船橋から千葉県道8号で北上して国道6号を目指します。国道6号に入った時点で8:00くらいになっていたのですが、標識を見ると「↑水戸 73km」とか出ていて、ここではじめて、エッ水戸ってそんな遠いの、と認識し焦り始めます。 ところどころ程度だった渋滞が次第に本格化してきて、路肩走行等少々手荒な運転を繰り返すも、開場の9:30には到底間に合いそうにない状況となってきました。土浦からやむなく常磐道へ入り、ぬあわ〜ぬえわkm/hくらいで必至になって走って、何とかして9:15には水戸芸術館に到着。途中高速をぶっ飛ばしても東京から3時間半。遠すぎる。おまけに昨日今日と異常に寒い。バイクを降りても震えが止まりません。 浜松から夜行で来たゼミ院生のツゲウ于氏と合流して、開場とほぼ同時に入館。今日は、ポケモンのプロデューサーとして知られる石原恒和氏とPostPetの作者である現代美術家の八谷和彦氏の対談があると聞いて来る気になったわけですが、本展覧会担当学芸員の浅井俊裕氏にツゲウ于氏が取材をするというので、それに同行させていただくという目的も兼ねています。 取材の前に、展覧の内容を一通り見て回ることに。基本的に、置いてあるものは神戸で行われたときと同じですが、ギャラリーの構造が違うため見せ方にはかなり差があります。神戸では巨大な部屋ひとつの中に全ての内容が入っていたのですが、水戸ではいくつかのスイートになった部屋ひとつひとつに、テーマ毎に分けられた内容が置いてあるという具合でした。神戸のほうが大きな物の展示もあって迫力がありましたが、水戸のほうが順路がはっきりしているので内容は分かりやすいという、それぞれに善し悪しがありました。 で、取材なのですが、いやーやっぱり話を聞くことは話をすることより難しい。何というか、質問項目を考えただけではダメで、全体の流れを考えないとダメですね。それと、質問に大して予想される答えを考えておくというのも当たり前かもしれませんが改めて重要性を感じました。時間も限られているし消化不良でありました。今後の大きな課題ですな。なお、取材内容は冊子にするので、またそのときに。 30分ほどしか時間がなかったのですが、神戸ファッション美術館でのテレビゲーム展担当学芸員の百々徹氏がアポ無し取材に応じていただけるそうで、お話を伺います。テレビゲーム展を開催するに至った経緯について「一言で言えば『憤り』です」と言い切ってしまうところがすごかったです。つまり「ゲームやったこともない連中がゲームのこと偉そうにガチャガチャ言うなアホ!」ってことです。こちらもまた冊子で。 今回特に、ミュージアムという場所がマイナスに働いた部分もありまして、それはどういうことかというと、なかなか下品になれないということなのです。もっと「ぶっちゃけた話○○じゃないですかぁ〜」といった具合で話をしたいのに、どうしても「○○についてお聞かせいただきたいのですが」と構えてしまう。「真実は雑談の中から見つけだされる」という師の教えにもあるように、前者のほうが核心をついた話ができるのは当然だと思うのですが、こういった場所で、なおかつ取材という形をとって、ということだと、なかなかそうはいかない。どこまで品を落としていいものか、その間合いというかタイミングというかきっかけというかがつかめなかったというのが、今回の敗因(?)だったとも言えます。あと絶対良くなかったのが、朝からバイクに3時間半も乗ってなおかつ寝不足だったこと。さすがにそれじゃ頭働きませんって。 |
会場をウロウロしていて、なんか向こうの方に赤い髪したイカツイ人がおるなーと思っていたら、あ、野安ゆきお大先生じゃないですか。近くには元Hippon SUPER!編集の元宮秀介氏、ライターでドリフ研究家(はもう辞めたそうですが)のとみさわ昭仁氏も。濃い方々勢揃いで、今回の目玉のトークイベントに臨みます。 石原恒和氏と八谷和彦氏の対談は、神戸でも司会を務めた桝山寛氏が司会進行。いや、なんかもうこのくらいの時間になると、連日の睡眠不足とここへ来るまでにたまった肉体疲労でもうダウソ気味なのですが。おかげで対談の内容もロクに覚えていないのですが、それでも途中面白い言葉が出たりするとパッと意識が冴えてメモを取ってしまうのですからいつも聞いている講義とは大違いか。途中、八谷氏が吉田戦車の『はまり道』をOHPに映して「やらなくてもいいゲーム」を説明したのですが、『はまり道』ってもうずいぶん前ですよね。5年前? 6年前? 当時の私は、「本来暇つぶしであったはずのゲームが、クリアしなきゃいけないっていう苦役になってしまってる」(八谷氏)ということをまだ理解できなかったような気がします。 石原氏は、これまでどんな人かあまり分からなかったのですが、今回のお話を聞いてみて、思っていたよりもずっと濃い人であることが分かって面白かったです。いきなりアミーガのソフトのタイトルが出てきたりして、うわ、メチャクチャディープにゲームしてるじゃんと分かって良かったです。ただ、石原氏の口から田尻智氏の名前が一度も出てこなかったのが私にはどうも不自然に感じられました。「出てくる確率がすごく小さいアイテムを友達が二つ持ってたとしても、友達のカセットから自分のカセットへそれをもらうことができない。ポケモンの『交換する』っていう発想は、それがやりたいから出てきた」という内容のことを石原氏がおっしゃっていましたが、それって田尻氏が著書『新ゲームデザイン』の中で「(ドラクエ2の「ふしぎなぼうし」を)結局、僕は1度も手に入れることが出来ませんでした。ところが、友達は2つも持っていたのです。僕は友達から1つ分けて欲しいと思いました。そのときの欲求を『ポケットモンスター』は満たしてくれるのです。」と述べていたことなので、「田尻君が言ってきたんだけどね、」くらいの節が頭についてもいいと思ったのですが。 対談の後、テレビゲーム展開催記念レセプションパーティがあり、どなたでも参加ウェルカムということなので乗り込み、タダ飯にありつけたのでよかったです。野安さんととみさわさんが話しているのを聞いていたら、野安さんが堂々と髪の毛を染められるのは、こんな頭していてもちゃんと仕事ができる人だということを周りに認知させるだけこれまで仕事をしてきたから、言い換えれば「貯金してきた」からだと。つまり「派手な格好できるのは若者の特権」というのは大間違いで、ちゃんと実績を貯金してきた大人こそが堂々とチャラチャラすればいいじゃん、という。ああー、すごく分かりやすい。いいですねえー。つまり、私がバイトを再開するときに再び頭を黒くしたのは、まだまだ貯金が足りないからということですね。 夕方5:30になって会場を後にし、これからバイクで浜松へ帰ります。水戸を出発して30分、国道6号へ入ったくらいのときに、雨が降り始めます。マジっすかー、今週末は雨降らないようなこと予報してたじゃないですかーと泣きそうになりますが、泣いたところで雨はやまないようなので仕方なくカッパを着ます。最初は小降りだったのにしばらくするとちゃんとした雨天になってしまい、タダでさえ寒いのにますます寒くなって頭痛もするほどに。おまけに国道6号はとにかく渋滞、渋滞、渋滞、渋滞、渋滞、渋滞、渋滞、渋滞。東京都内に入るまでに4時間を要しました。雨は全くやまないし。 さすがにこのまま都心へ入ってさらに渋滞につきあっていたら日が暮れてしまうっていうか日はとっくに暮れているので夜が明けてしまいそうなので、進路を変えて首都高の北端、三郷JCTへ。首都高でグルグル回って遊んで行きたいところですが、相変わらす雨は降りっぱなしだし肉体的にもボロボロなので、最短ルートで渋谷線へ入り、用賀から東名へ。それにしても、レインボーブリッジからの接続部以外、都心環状の流れがやたら良くって、雨降りなのに後ろからどんどん追われて非常に恐ろしかったです。道路の継ぎ目の金属部分に前輪が乗るとスリップしかけたりして死にそうです。いつもは三軒茶屋まで渋滞している渋谷線もスイスイでした。 東名で沼津くらいまでぶっ飛ばしたいところですが、もう今月に使える金がほとんどないので、厚木まででガマンして後は国道246号をヒーヒーいいながら走ります。雨の夜で前は全然見えません。前のクルマのテールランプだけが頼りですが、既に日付も変わって交通量も少なく、前に誰もいないところでは半分勘で走っているようなものです。急に道が分かれるようなところでは分離帯にぶつかりそうになったりしながら何とか沼津までたどり着き、あとは国道1号を西へ。沼津から浜松まではよく知っている道なので150kmノンストップで走り、浜松着は深夜3:45。10時間ぶっ通しで雨の中でもうヘナヘナです。28日は一日の間だけで555kmも走りました。自己記録を100km以上更新する最高距離です。あっ、知らないうちにバイクのオドメータが30000km超えている。20000kmのときは記念写真撮ったのに、今回は目視さえ忘れていた。もったいないですが、おそらく首都高のあたりで超えていたと思われるので、停車は不可能だったかも。 |