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2001/04/07 Sat 〜 2001/04/08 Sun 「泥酔→」


昼は本を読んでいました。

夜は酒を飲んでいました。

ってわけで新宿でクダ巻いてました。終盤荒れてすみませんでした。えーと、嫌いにならないで下さい。でも、いつになく、まぁ正直に話ができたので、その点は良かったと思います。でもですねぇ「カラオケ屋が11階建てなんてすごいですねぇーうわー高い」なんて田舎もん丸出しではしゃぐのはどうかと思いますよねぇ、実際。

そのままオールナイトで、酒が完全に残っていて頭ガンガンなんですけど、勢いで電車に飛び乗って「おっしゃー大阪いったる」と豪語。これに行こうと思ったわけですよ。しかし、時計をよく見てみるともう朝6:00過ぎです。吐き気を抑えてノートを開き、東京-大阪の乗り継ぎを調べると、向こうに到着するころには催事が終了してしまうことが判明。大阪まで行くのはあきらめます。

何でもいいやと思って、とにかく東京駅東海道線ホームへ行き、来た列車に乗り込んで就寝。途中停車駅で目が覚めて、なぜだか分かりませんが飛び起きて列車の外へ。たぶんそのとき頭の中では、山手線に乗っていて品川に到着したので乗り換えなくては、という勘違いをしていたのでしょう。

降りてみたら戸塚でした。全然違いますね。ドアが閉まり列車が行ってしまった後、カバンを車内に忘れたことに気付きます。ああ。あまりにも血中にアルコールが残留しているので、何もかもムチャクチャです。とにかく、次に来た列車にまた乗って、カバンを追いかけます。

カバンを忘れた列車は沼津行きだったので、沼津までやって来て窓口に問い合わせ。見事にそこにありました。良かった良かった。くくりつけてあった荷札には「内容物:本、辞書」なんて書かれていて、おいおいそれよりパソコンのほうがずっと高価じゃないですか。沼津からまた西へ。静岡と浜松と豊橋で乗り継いで、このままどこまで行こう、名古屋で遊ぶかなと思いつつも、二日酔いの症状がひどくてそこまでする元気もなく。

大府で武豊線に乗り換えて、知多半島を南下。こうなったら知多半島でリゾートしてやるというわけです。武豊線は電化されていません。JRの汽動車に乗るのは初めてです。ドルルルル、音が大きいです。車掌もいなくて運転手だけのワンマンです。線路は単線で、民家の間をクネクネと、洗濯物をひっかけそうになりながら進んでいきます。終点の武豊まで、そんなに時間のかかる行程ではありませんでした。

イェーイそれでは今日もこのコーナーいってみようかー「街でこんなの見ーつけた!」まず最初のお便りは愛知県知多郡武豊町の日高さんです。アハハハハ、まだあるもんだねぇ、「家庭に持ち込まないようこの箱に投入ください」って、家庭に持ち込まずにどこで使えっていうんでしょうかねマッタク!

成人向

セクシーショッツ

はいそれでは続いてのお便り、愛知県知多郡武豊町の日高さーん。いやーセクシーな看板ですねぇ。小学生が見たらこれだけで興奮してしまいそうです。雑誌なんかよりまずこの看板を先ほどのポストへ突っ込むべきかと思いますが、しかし、局番が1ケタな電話番号の下に、農協の有線の呼出番号が書いてある点は見逃せません。

本日最後のお便りとなりました。えーと、愛知県知多郡武豊町の日高さんです。素晴らしいですね、これはピカソか誰かが書いた絵ですか。「町が泣いている」と書いてはあるものの、むしろ表情は恍惚としているような気もしますが、気のせいでしょぅか。あと、悲しむ主体についても議論になるところで、なぜこの丸い顔が「町」なのか、理解に窮する面も多分に存在します。

泣いているのか

こんな写真を撮っただけで、ここまで来た意味は他に全くありませんでした。また武豊線を北上して、浜松に行きました。今日は研究室泊。


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