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2000/12/08 Sat 晴 やや寒 「焼き」


朝から学校へ行くも、行ってみると休講と判明し意気消沈であります。しばらく学校で過ごし、一度帰って街の方へ出かけて。最近メガネのフレームがユルくなってきたので、メガネ屋へ行って調整してもらいます。あさってはMOTOCOMPOのライブに行くのですが、ユルユルのメガネのままだとまたあのときのようになりかねません。

ドトールで軽く昼食をすませて、せっかく近くまで来たのでザザシティ浜松へ。目当ては2階のゲーセンの一番隅にある「ダートダッシュ」だけですけどね。今日は1回プレイするだけにとどめておこうと思ったのですが、結局300円も資本注入してしまうことに。だんだん高校時代のカンを取り戻してきて、多少は先に進めるようになってきました。

一旦トップまでシフトアップしてしまえば、あとはミスしない限りほとんどシフト操作の必要ないレースゲームが多い中、このゲームは積極的なシフトダウンの求められる局面が多いです。カーブが非常に多い、というよりむしろ、カーブしかないと言えるくらいのコースデザインなので、エンジンの回転数を常にレッドゾーン手前くらいのところ、つまりトルクの稼げるところにあわせておかないと、コーナリングからの立ち上がりに対応できません。難しく思われるかもしれませんが、マニュアルでスポーツタイプのクルマに乗っている方なら、この「エンジンの一番おいしいところを使って走る」楽しさは分かっていただけると思います。

バックアップ用のCD-RWディスクを購入するためにコンプマート浜松へ。CD-Rのディスクは10枚で1000円以下が既に常識になっていますが、CD-RWとなると、いくら安くなっているとはいえ1枚500〜600円はするだろうと思っていました。ところがところが、実際に売場へ行ってみると1枚250円から置いてありますよ。ここここんなに安くなっていたのか。これで反射率が上がって普通のCD-ROMドライブでも読めるようになったらRの時代は終わってRWの時代が来るのか、と思ってしまいましたが、反射率ってメディアで決まるのですか、それともドライブの性能で決まるのですか。どうしてどのドライブでも読めるCD-RWって出てこないのでしょうか。自分で調べろとか言われそうですが。

ゼミの時間なので再び学校へ。本日は少年マンガ雑誌についてうえき氏による発表。少年マンガ雑誌というと、特に有力なものにジャンプ・マガジン・サンデー・チャンピオン等がありますが、実は私このどれも購入したことがないのですよ。というより、マンガ雑誌なんて、小学生4年生くらいのときにコロコロコミックを2回ほど購入したことがあるだけで、それ以来何も購入していません(ただしエロマンガ除く)。

ほとんどの人、特に男子は、小学生・中学生のころに読んだ漫画についての何らかの思い出あるいは思い入れがあるようですが、私はこれといって無し。だから、マンガが話題になると実は少々肩身が狭かったりして。ではなぜマンガをあまり読まなかったかを考えてみると、まず思いつく理由は「金がなかった」からであります。私は確か小学生3年生のときから小遣いをもらうようになりましたが、小学校を卒業するまでその額は一貫して「週に100円」だったので、当然マンガを購入するような経済力はなかったわけです。

しかし、当時の小学生の多くは、私と同じくマンガ雑誌を定期的に購入するような経済力を持っていない買ったはずです。周りに聞いてみると、確かに自費で購入して購読していた人は少ないようです。実際は、何らかの公共の場(飲食店・床屋・銀行・病院待合室等)に置いてあるものを読み自分で購入するのは時々だった、年上の兄妹が購入していた、友人のところで読んだ、というケースが多いようです。が、そう言われると、私もまぁ似たようなものだったのですよ。なのになぜマンガ読みが習慣付かなかったのか。

結局疑問は解決されないじゃないかと思ったのですが、こうして日誌を書きながら決定的な原因が思いつきました。といってもあっと驚くような理由ではなく、ただ私にとってはマンガよりもテレビゲームの方が圧倒的に面白かったというだけのことです。小さい頃の遊びについては、この日の日誌で何気なく書いたことがありましたが、その日誌中の表現に従うなら、マンガを読むという行為も、「子供」という集団の要請によってなされるに過ぎないことなのではないでしょうか。テレビゲームは(私にとっては)そうではなかったわけで。


で、中学生くらいになってしまうともう「自分は好きなものは何か、それをもっと楽しむにはどうすればいいか」を見極める能力が身についてしまうので、私の場合はマンガ雑誌よりも「Hippon SUPER!」という雑誌を読む方に完全にシフトしてしまって現在に至るというわけですね。そうやって自分の昔を振り返ると、今の自分の価値判断とか行動とかの基準というのは、13歳くらいのときにほぼ固まったのだなということが分かりました。

今日は研究室へレコードプレイヤーを持ってきています。最近は細野春臣がYMO結成直前にリリースしたLP「はらいそ」がマイヘビーローテーションなのですが、レコードはリピート再生するのに少し面倒なので、CD-Rに焼いてしまおうと。「はらいそ」だけだと容量がまだ半分あまるので、ついでにシーナ&ロケッツの1st「真空パック」も焼き込むことに。シナロケもこのアルバムは細野プロデュースだから意味合い的にもマル。リリースされた時期も比較的近かったし。あわせて約70分という絶妙な組み合わせ。

プレイヤーをパソコンにつないで、録音ソフトを走らせてからLPをプレイ開始。録れたWAVファイルの余分な部分を切り取って、それを音楽CD形式で焼いて完成です。これで名曲「フジヤマ・ママ」も聴き放題です。いや一度これ味をしめると、うちにあるLPとカセットテープ、片っ端から焼きたくなってきましたよ。それこそ中学生時代に録り貯めたネタなんか大量にありますからね。

あと、昨日「ボンベイ to ナゴヤ」という映画をバイト先からレンタルしてきたので鑑賞しました。インドで警官として活躍する主人公は、麻薬流通組織に殺された同じく警官の父親の仇を討つために、組織のドンを追いかけて名古屋へやってきたという話です。なぜ名古屋、と思いましたが、確かに名古屋港でヤクが上がったという話よく聞きますしね。で、実際に名古屋でロケを行っていて、これだけでも名古屋人の私としては必見なのですが、ビデオのパッケージが写真ではなくイラストで、しかもそのイラストがなぜかみうらじゅんという。このあたりでもう怪しさ爆発です。

話の大筋は非常にオーソドックスな勧善懲悪物語で、その点は娯楽映画に徹していて分かりやすいです。しかしまぁそれはある意味どうでもいいのです。舞台が名古屋へ移る前、まだインドにいる前半の段階で、ミュージカル的な歌と踊りのシーンがやたら多くてウザかったのですが、後半になってそれと同じことが名古屋の町中で繰り広げられるのには爆笑しました。久屋大通公園とか栄の地下街とか名古屋港とか名古屋駅とかでとにかくミュージカルしまくる。

さらに笑えるのが、通行人とか背景に映る人がエキストラではなく全部一般市民。いや、一般市民に通行人役を頼んでやっているという意味ではなく、本当の通行人がバンバン通っている中で撮影しているのです。だから、踊っている主人公とヒロインの後ろに、物珍しそうに見物しているおばちゃんとかがそのまま映っているのです。こ、これ許されるのですか。さらには交通量の多い中心街の交差点のド真ん中(右折方法を表すひし型のペイントの上)で踊りだし、それも通行止めにして撮っているのではなくクルマは普通に通っていてムチャクチャ危なそうだったり。

最終的には麻薬密売組織のドンを追いつめて殺すので、一応話のメインの部分ではオチがついているのですが、途中これは先の伏線と思われた登場人物や出来事が見事なまでに無視されていたり、名古屋を出発して東京に到着したはずの新幹線を降りるとなぜか名古屋の街に出ていたり、全く無意味なカットがいくつもあったりと、話の枝の部分は破綻しきっていて、これにはすがすがしささえ感じさせます。シュールなネタ、カルトな映画が好きな方には外せない作品だと思いますが、それでも名古屋の街並みを見慣れていない向きには面白さ半減でしょう。それにしてもこれ、実際に劇場公開されたインドではどういう反応だったのでしょうね。少し間違って描かれているようなヤクザに「ゥワーゥ、ジャパニーズギャング!!」と言って喜べるかもしれませんが、それ以外はほとんど意味不明なのでは。


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