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2001/09/05 Wed 〜 2001/09/07 Fri 「かまいたちの夜」


朝6:00に起床するなんていつ以来でしょう。朝食の後、小屋の掃除などして出発。2時間歩いて、行きにタクシーを降りた高瀬ダムまでたどり着きます。巨大なロックフィルダムである高瀬ダムは、ダム湖と反対の面にジグザグの道路を持っており、ダムを越えるときはこの道路を上り下りします。ダムの斜面自体に道路が走っているのなんて初めて見ましたよ。ここでタクシーを呼ぶこともできるのですが、今日はまだまだ徒歩でまいりますよ。

ダムの上を下りる

サル

ところどころ道ばたに動物のフンが落ちていて、こんなところまで犬の散歩に来ることはないだろうし何だろう、登山家ははばかりもなくこんなところで野グソするのか、と思ったら、しばらく歩いて出会ったのはサルでした。

公道と東京電力の私道との境界である七倉ダムを越えて、しばらく行ったところにある葛温泉の温泉旅館「高瀬館」で500円払って露天風呂に入ります。朝からずっと寒い中だったので助かりました。ここでタクシーを呼んで市街地まで帰ります。先生北帝氏は大糸線で白馬に向かい、浜松からやってくるゼミ合宿本隊と合流します。私はバイクに乗って、わざわざ遠回りして山道の走行を楽しむことにします。

特に周りに観光する場所があるわけでもなく、天気が悪いので景観も望めないのですが、いやー久しぶりに走るワインディングなのでとにかく楽しいです。最初はおっかなびっくりの走りでしたが、次第にコーナリングの感覚を取り戻して珍走。大町から白馬まで50kmほど遠回りをしましたがあっという間に到着。

今日の宿泊地は、「かまいたちの夜」の背景画像のロケが行われたペンション「クヌルプ」です。私が遠回りをしている間に他の方々は全員到着していました。大人数なので寝泊まりするところは別棟のコテージなのですが、荷物を置くと早速ペンション内部で現場検証を開始します。あのロビーが、あの食堂が、あの階段が、あの廊下の突き当たりの物置が!

実際は道からすぐです  このアングルにはグッときた

地獄車を決めてやると社長が鼻息荒く  奥の物置には

当然のことながらゲーム内と同じですな。建物だけでなくイス等の調度品も、ペンションのものがそのままゲーム内で使われている場合が多いようです。ああ、地下室はありませんが。ゲーム中ではロビーに登場人物が全員集まるシーンなどもありましたが、実際のロビーには12人も人が入ったらけっこうな混雑で、ゲーム画面で見るより実物のペンションは小ぶりに思いました。この建物がゲーム画面の撮影現場になったことが分かる掲示があったりしたら興醒めなところですが、幸いなことにそのようなものはなにもなく、食堂のCDラックの横にプレイステーション版かまいたちの夜がさりげなく置いてあるだけでした(しかも未開封)。

夜はひたすら酒宴です。夜がふけるにつれてひとり、またひとりと人数が減っていきますが、別にサスペンスがあったわけではありません。私は一番最後まで飲んだくれていたのですが、宴会場を片づけて寝室に向かい、少し窓を開けたところ、イタタタタタ、すぐそこにハチの巣があったようで出てきたハチに3発ほど刺されました。こんなところに殺人のしかけがあったとは。ハチに刺されたらどうすればいいのか、えーとアンモニアか、とトイレに駆け込み患部に小水を塗布したのですが、後から調べたところハチにアンモニアというのは迷信で特に効果はないそうです。

翌日(6日)の二日酔いはそれほどひどくなくて比較的体調良好。10:00過ぎにのんびりと全員そろって出発し、穂高町でソバを食した後、私はバイクで単独行動の帰り道。豊科Cから高速に乗って一気に飯田まで南下し、そこから国道151号へ。南信州と奥三河を縦断する山間部の道路ですが、交通量が少なく舗装はしっかりしていて極端にせまい箇所もない、山道とは思えないハイスピードコースであります。私はこの国道151号を初めて走ったときカーブの走り方に開眼しました。途中で休憩を挟むべき距離ですが、すっかり気持ちが高ぶって一気に走り抜けてしまいます。というわけで穂高から浜松まで250km4時間半のノンストップライディング。身体には少々酷でしたが、存分に走行を楽しむことができました。

浜松の連れのところに泊まって翌日(7日)の昼までグッタリと眠り、昼から久々に学校に出かけて、夕方に東京へ向けて出発。国道1号を東へ、沼津からは国道246号へ。御殿場を越えるあたりまでは調子も良いのですが、神奈川県へ入ってしばらくするとやってくる秦野・伊勢原両市内の区間は、片側1車線で信号も多くちっとも進まなくてフラストレーションが溜まる区間です。厚木-大井松田間は東名高速に乗ろうか、と魔が差しますが、こらえて節約。

5日間で1000kmも走っていないのでそれほどの疲労にはならないだろうと思っていましたが、朝早かったり夜遅かったり行程がムチャクチャだったのと、山歩きで消耗した分があるので、予想していた以上に体力を奪われ、この後2日間ダラダラ寝ておりました。


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