2001/02/08 Thur 快晴 やや寒 「世の中知らないことばかり」
いやー今日は天気がいいですね。天気快晴是天下太平、素晴らしいことであります。ってこんなこと以前の記述にもあったような。天気がいいので今日は油田を見に行きます。油田? 実は静岡県西部の相良町に、昔は油田があったそうなのです。へぇ、全然知りませんでしたよ。そんなに遠いところではないので、せっかく静岡県西部に住んでいるのだから一度行ってみようという。 浜松からバイクでブイーンと西へ走ること約1時間半。途中牧ノ原台地のド真ん中を通る県道を走っているときなどは見渡す限り茶畑、茶畑、茶畑。他地方の方々から見れば「ワァ、素晴らしい景色」なのでしょうが、県西部の道を走りまくっている私にしてみればウンザリするくらい茶畑しかない風景であります。浜松から行くなら、途中掛川から県道37号に入り、菊川からは県道79号で牧ノ原へ登って、後は国道473号を走るのが一番景色がいいと思います。 現地近くまで来たら案内の看板が出ていたので迷うことなく到着。山あいにあるその場所は予想通り、小さな公園の中に小さな資料館という「ふるさと創生」風味な公共施設となっていました。「相良油田の里公園」だそうです。資料館の入り口は木の戸で閉じられていたので今日は閉館日かと思いましたが、私が入り口の前に立つとガラガラと音を立てて勝手に開きました。まさか自動扉だとは思いませんでしたよ。 来る途中、辺りを見回しても茶畑しかなかったように、現在はもうここに石油産業は存在しません。相良油田は1873(明治6)年に開抗され、主に手掘りで掘削されていたそうです。井戸みたいなたて穴を地中深くどんどんどんどん人間の手で掘っていって、地層から染み出てきた原油を桶ですくって、ロープで地上へ上げていくという何とも原始的なやり方ですな。 開抗したその年に、既に機械掘りの設備が輸入されて導入されていたようですが、当然そんな機械は当時の日本に数えるほどしかないわけで、基本は手掘りでした。手掘り井戸の深さは約100〜180mで、最深のものはなんと255mという。よくそんなの人手で掘ったもんだと思いますよ。ガスの発生などもあり、言うまでもなく危険ととなりあわせの重労働でして、労働力としては静岡刑務所の囚人も動員されていたということです。資料館の展示パネルの説明によると「日給は12銭から30銭という高給でしたが、飲食に慰安に散財も多かったようです。峠には、酒屋やそば屋、お菓子屋などが建ち並び、大変賑やかでした。」慰安ってことはアレかい、こんな山奥にそんな施設も建ち並んどったのか!
ちなみに相良油田の原油は、ガソリンや灯油のような軽い成分をたくさん含んでいて、精製しなくても燃料として使えるくらいの良質なものだそうです。中東とか東南アジアの原油は重油分が50%以上で、色はいかにも原油な真っ黒なのですが、相良の原油は重油分が10%以下で、色はウイスキーのようなコハク色をしています。資料館に、透明ケースに入った原油を振ることができるコーナーがあって実際やってみたところ、中東のはデロデロのネヴァネヴァだったのに対し、相良のは水のようにサラサラでした。 というわけでまたひとつ物知りになったネ! って感じで帰ってきて、急に現実に戻ってバイトへ。勤務中店に電話がかかってきて、他の店員がそれに出て、何だか固まってしまっているのでどうしたのだと思ったら、電話の相手は外人だったそうで「日高くん、英語できる?」と受話器を渡されてしまいましたよ。オーウ コマッタネ コリャと思いながらも仕方がないのでディス イズ ツタヤ スピーキングと電話に出ます。で、聞いてみて何となく理解した感じでは、ビデオの返却を催促されているけど今日東京にいて浜松には明日帰るからそのときで頼む、とのこと。「ウッジュー カムトゥー アワ ショップ トゥモロー?」「OK, OK, I will. Bye!」「センキュー センキュー」 今日はお客さんも多くて疲れましたよ疲れましたよ。おかげで久々に売上も好調だったのですが私の給料には何の好影響もありません。帰りにローソン中沢町店へ寄っていつものように発泡酒を購入しようと思ったところ、「サッポロの発泡酒どれでもまとめて3本購入で携帯ストラッププレゼント」なるキャンペーン期間中だったので、思わずサッポロセブンを3本購入。ストラップは、青地に「SAPPORO」のロゴと星マークが白くプリントされているもので、あんまりかっこよくなかったです。それにしてもこのセブン、7%というほとんど反則技な高アルコールでなかなか良い味わいです。ボックビールを楽しんでいるかのような気に、なるわけないか、発泡酒だし。 |