Home

2000/08/05 Sat 晴 暑 「BIT GENERATION 2000」


8:00くらいに宿泊先を出発して山から下りてきます。近くで見つけたロイヤルホストで朝食。高くて量も少なく非常に不満の残るメニューでした。こんな朝食じゃガストには勝てんよ>ロイホ

今日は、六甲アイランドにある神戸ファッション美術館で開かれている「BIT GENERATION 2000 テレビゲーム展」を見に行きます。29日まで開かれているのですが、特に今日は開催を記念してのトークイベントが行われるので、それを目当てに行くのです。パネラーは、テレビゲーム研究者として名高い桝山寛氏と、ゲームアナリストの平林久和氏のお二方です。うちの先生も行く予定だったのですが、交通費さえ支給されないということで「そんなイベントには行っとれん」と参加断念。

高速道路のような大きな橋を渡って六甲アイランドへ。六甲アイランドって、港と倉庫と工場しかないようなところだと勝手に思っていたのですが、実際来てみたら全然違って、高層マンションとか公園とかいろいろあって、島自体が一つの都市になっているのですね。何か未来っぽくてカッチョイイです。会場の開館は11:00なのに、1時間少々早く到着してしまったので、あたりにはまだほとんど人がいません。島の住民が朝の散歩をしている程度。

神戸ファッション美術館前

壁がFCフォント

その辺をブラブラして時間をつぶしているうちに開場となり、朝浜松から来た研究室先輩と合流して館内へ。入ってすぐのところにアメリカのキャンペーンで走っていたピカチュウカーがあり、エントランスホールの壁には「GAME OVER」「捨牌せよ」「しんでしまうとは なにごとだ」などと、ファミコン時代のゲームの名ゼリフがフォントも当時のままに書かれていて超クール!

トークイベントは開場後間もなくから行われます。前述の桝山・平林対談は2:00からなのですが、どうもこのトークイベントのスポンサーになっているらしい専門学校デジタルハリウッドが、宣伝も兼ねて講演をするらしいです。デジタルハリウッドって、ああSHIBUYA TSUTAYAの上にあるやつですか。ほとんど興味はないのですが、まぁどうせ来たのだからと最初から聞くことに。美術館5Fにあるホールへ。で、デジタルハリウッドの校長が出てきて何か話して、その知り合いなのかナムコでムービー関係の統括している人と後半は対談になって、えーと、ほとんど何話していたか覚えていません、っていうか途中で寝ていたし。

休憩時間をはさんで、トークセッション「テレビゲームとファッション 作品と商品の狭間で」が開始です。え、この展示会のチラシには、「テレビゲームとは何か」がテーマと書いてあったのに。それに何か知らんけど、パネラーがもう一人増えるみたいですね。にしても、定員先着400名ということなのですが、ホール内には100名前後しか入っていないみたいですよ。オフィシャルのホームページでさえ全く告知をしていなかったので、こんなものなのでしょうか。会場が埋まってしまうことを恐れてあまり告知をしなかったのでしょうか。スポンサー的にはちょっと不満だったかもしれませんね。

まずは、便宜上司会という役になっている桝山先生が出てきて自己紹介。そして、桝山氏の紹介に続いて、ゲストパネラーとして招かれたスタイリストの河井真奈氏が登場。最後にヒラ坊(平林久和氏、Hippon SUPER!誌編集者時代の呼ばれ方)が出てきて、論客が揃います。ゲストの河井氏とこの展示会に何のつながりがあるのかと思っていたら、ヒラ坊「いやー実は、河井さんと僕は、夫婦なんですね」といきなり衝撃の告白。ヒラ坊がスタイリストと結婚していたというのも衝撃ですが、うちの先生の代わりが見つからず(?)結局身内というところに、もっと衝撃。

パネラー3氏

最初は桝山先生から、この展示会のコンセプトについて特別講義です。「BIT GENERATION」展のキーフレーズである「アトムからビットへ」について明快な解説。物事の基準は、物質の最小単位である原子=アトムから、(ディジタル)情報の最小単位=ビットに移り変わろうとしている、って、情報系・社会系の学問をやっている人には耳タコな話ですな。今回は実際にそれを表現したインスタレーションが展示室にあります。本物の卓球台が2台並べて置いてあって、片方には普通にラケットとボールが配置されています。そしてもう一方は、ラケットもボールもネットもなく、天井のプロジェクターからテレビゲーム「ポン」の画面が投影されています。つまり、卓球という遊びのシステムは同じなのに、それが実体のあるボールやラケットから、単なる情報に過ぎないテレビ画面に変わったということを表しているのです。(この展示の写真撮ろうと思ったら展示室内撮影禁止につき制止された)

その後は、「テレビゲームとファッション」をテーマに、3氏のThe zudahn(ザ・ツダン)。テーマがこれに変更されたのは、河井氏がゲストとして話しやすいようにするためなのでしょうか。そんなことも感じさせる少々苦しい論題ですが、テレビゲームとファッションとの共通点を探るところから始まりました。

ファッションとは何か、という問いに対する一つの答えは「変化する気分」ではないか、と河井氏。服がボロボロになったわけでもないのに、昨シーズンの服はもう今年は着なくなってしまったりする。それはなぜかを一言で答えるなら「飽きる」からで、結局新しいファッションって飽きることから生まれている。ゲームもまたしかりで、技術革新があって新しいものが出てくるとみんなワッとなって騒ぐけど、またすぐにパッと飽きる。「ポン」とか昔のゲームは確かに楽しいんだけど、お金を払ってまでやろうとする人は誰もいないという。消費のサイクルが早いところも、ゲームってファッション的。

あと、ゲームもファッションも、生活必需品ではない。無くたって死にゃーせん。でも、服を着ない人はいないし、ゲームも、テレビゲームだけじゃなくてスポーツとか広い意味で考えれば、全く興味を示さない人というのはいない。英語で「summer game」と言ったら夏のオリンピックのことで、普段スポーツ見ない人でさえ、オリンピックなら少しくらい見る。つまりみんなゲームに何らか縁がある。無くても困らないのに誰もが接している。というような、何だかだまされているような気がしないでもないですが、「ゲームとファッションの意外な関係」って感じで話は進みます。

そんな中で桝山氏の口から出た言葉はなかなか印象的でした。「生活必需品でないからこそ、逆に人間の欲望に密着しているというか、正直な文化であるわけです。スポーツ新聞なんて、ゲームとファッションと下半身のことしか載っていないじゃないか(笑)」そう、結局、産業としてであれ文化としてであれ、最も栄えるものって、ゲームかファッションか下半身なのですよね。あと最後に桝山氏が言った「昨日山手線の中で何を話そうか考えていたんですけど、向かい側に座っている会社帰りのおっさんたちを見て、ふと『このおっさんたちには、ゲームもファッションも全っ然関係ないなぁ』と思ったんですね。要するに、ゲームとかファッションとかって、女子供の文化なんです。でも、不景気になっても変わらず売れているものってこの二つだし、あと共通点を挙げるならば、海外ですごく評価されていること。」というのも、いいなーと思いました。

共通点ばかりで話が進んでいたので、一方で私は相違点のほうを自分の中で考えていたのですが、決定的に違うのは「オシャレか否か」でしょうね。ゲームがアンファッショナブルであるというイメージは払拭しなければならないということはずっと言われ続けているような気もしますが、SMAPがドラクエのCMをしてみたところで、ゲームというのはコアな層になればなるほどオシャレでないというのが実状でありまして。ファッションはコアになればなるほどオシャレなのに。いや、本当にそうなのか? まぁいいや。

河井氏は、対談は今回が初めてということでちょっと浮いていて、やっぱりとってつけたテーマと人選かなということを感じましたし、質疑応答のようなオーディエンスとの対話時間がなかったのも非常に残念でした。そういった点ではやや不満の残るトークでした。ただ、アトムからビットへとかIT革命とか、そんな言葉の裏に隠れた本質は「ゲームとファッションと下半身」だということが分かったというところは良かったと思います。情報化社会って、結局そういう部分をダイレクトに露出させていく社会なのね。と、また分かったようなことを言ってみたりして。

展示室は広かったものの、展示物は3年前に名古屋で開かれた「BIT GENERATION 97」のほうが良かったかなとも思います。あのとき置いてあったATARIのゲーム「マーブルマッドネス」をちょっと期待して行ったのに無かったし。特にそのときは副題が「たのしいコンピュータ」で、身の回りにあるコンピュータとしてマイコン炊飯器とかも展示されていたのですが、その流れでApple][が置いてあったのは感激でしたね(ローマ数字の2を][と表現するのは現在の日本でも通じるのでしょうか?)。

ノーラン・ブッシュネルに始まるゲーム界の偉人がパネルで解説されていたコーナーもなかなかの人選で良かったのですが、販売されている展示会カタログを見ればより詳しい内容が書かれているので、その場で真剣に読む気もあまり起こらず。あと、インベーダー大ブームを報じた新聞記事の写真が大きく引きのばされて奥の壁にかかっていたのですが、そこに写っている原初のおたくたち、ほとんど現在のおたくとアピアランスが変わらないのが面白い。テーブルを取り巻いているギャラリーはみんな腕組んで見ていたり。

さて、夕方5:30くらいには会場を後にして、今日はこれから広島の友人のところまでバイクでレッツゴーであります。国道2号をずっと西へ行けばいいんですよねなどと簡単に考えていたのですが、神戸から姫路のほうへ行くだけでも渋滞の中一苦労ですよ。それにしても地元民の通勤スクーターはすごい。渋滞しているクルマの左側と路肩の間を、平気で60km/hとかですり抜けていきます。こんな狭いところでよくまぁスピード出せるものですね。トラックなどがいて左側が狭いときは、車間を通って右側へ、そしてまた左側へ戻るというクランク状のコースで走っていきます。私などがノロノロとすり抜けをしていると、後ろの原付にあおられてしまって怖い怖い。

さらに、バイパスの第二神明道路への入り方が分からず、加古川のあたりまでずっと現道のほうを走っていたので、1時間以上経ったのにまだ兵庫県を抜けられません。空はかなり暗くなってきてほとんどもう夜です。広島まであと何キロあるのですか。え、200km以上? この調子じゃどうがんばっても今日中に到着することは無理だなと思い、バイパスから山陽自動車道へ。結局、高速道路をぶっ飛ばすことに。

通行券を取って、ランプウェイから本線に入ると……クルマがいない。ガラガラです。日は暮れたといえまだ8:00くらいですよ。もしかしたら間違って工事中の未開通区間か何かに入ってきてしまったのかとも思いましたが、後ろのほうから来る車両があったのでそうではないようです。まだこの時間東名高速道路だったらトラックまみれで「やあやあ今宵もにぎわっていますな」って感じなのに、ここは前にも後ろにもほとんど誰も走っていません。こんなのじゃ絶対ペイしていないはず。この道路を維持するために、とっくの昔に無料化しているはずの東名でいつも料金を払っているのかと思うとプール制に疑問が。

クルマが少なくてとにかく暗いので、どこを走っているか見当もつきません。ただひたすら道路に沿って進むのみです。左側車線のはるか遠くにテールランプが見えるのですが、ぬふわkm/hくらいで走っていても一向に追いつきません。ミラーにひとつヘッドライトが見えたのでバイクかと思ったら、それは後ろのほうを走っているクルマのヘッドライトでした。あまりにも後方にいたので、2個のライトが1個に見えたのです。

途中どこかのサービスエリアでうどんを食します。520円もしました。サービスエリアの食事ってこんなに高額でしたっけ。客が少ないと単価も高いようです。広島まではまだ150km以上あって、ただ黙々と西へ向かって闇の中を走り続けるのみです。

岡山のあたりで多少は道路の周辺が明るくなったのですが、またすぐに暗くなって、もうどうでもよくなって歌など大声で歌いながら西へ。広島といっても正確には東広島市なのでちょっと手前なのですが、ここまで走ってくるとほとんど誤差の範囲です。結局、到着したのは10:30で、今日の展示会の報告を書く気も起こらず、ほとんど何もせずに就寝と相成ります。それにしても東広島はクソ田舎ですなぁ(失言)。

まぁ計画が無謀でしたね。大阪より西のことなんて何も知らなかったので、神戸まで来たらもうだいぶ西へ来たような気がして、広島なんてそんなに遠くないだろうと勝手に思いこんでいたのですがなかなかどうして。あと、今回まともな地図を持って来なかったのも少し失敗でした。持ってきた地図はというと、100万分の1という小学校の社会科地図帳みたいなのしかありませんでした。まあ無事到着したのでざまぁみろです。


前日へ 翌日へ 今月の目次へ 1999年の同日へ

Home