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2000/05/12 Fri 晴 暑 「ゼミ」


昨日の超多忙なバイト明けで猛烈に身体が重いです。こう、ふとんから起きあがろうとしても、頭が指令してからワンテンポ遅れて身体が動く感覚。そんな朝実家から電話がかかってきていろいろと言われて危うく母親と口論になりそうになりながらもそこは努めて平静さを装い怒らせないように。何か知らない間に親父の努める会社が変わっていました。この間帰省したときにはそんな話聞いていませんでしたよ。まぁしかし電話が終わると再び肉体が休息を求めてきたのでそれに従い就寝。

別からの電話が鳴って起きると昼の2:00過ぎです。午前中の授業は完全にスルーしてしまいましたな。そろそろゼミが始まるので学校へ行かなければならないなと思いながらも肉体の休息を求める貪欲さは衰えず、そのまま就寝。3:00過ぎになり、ついにゼミの部屋から「とっとと来い」との呼び出しがかかり、ヨタヨタヨタと学校へ。

今日のゼミでは、英書購読で読む「japan edge -The Insider's Guide to Japanese Pop Subculture-」(Cadence Books,1999年)の導入部分の解説と、現在うちの研究室で議論のメインストリームとなっている「サブカルとおたく」論に関連して先輩のプレゼンです。いや、めちゃくちゃいい話が聞けたし、議論も極めて有意義でしたよ。寝過ごさなくて良かった。

やっぱりガイジンが言う「Subculture」と日本語の「サブカル」とは違うわけで。70年代後半から、日本には新たな「Subculture」的なものが出現してきた。それは例えば「ヤマト」や「ガンダム」のようなアニメーションであり、一方ではYMOのような「日本発新しいポップ」であったわけです(ここではあえて「テクノ」という言葉は使いません。何となく)。そういった「エッジ」な文化を受け入れていった人たちが、時代のキーワード「新人類」で。そんな「エッジ」な文化も、80年代に入ると商品化されて、消費財になってしまう。こういう状況の中でもマスに迎合せずやっぱり独自の文化圏を築きたがるのが、現在の意味での「サブカル」そして「おたく」の元となる「原おたく」的な存在となり、そのうち外へ向かって伝導するオピニオンリーダー的な存在が「サブカル」となり、さらに内へ内へとこもって一人の世界に入っていってしまうのが「おたく」であったと。だから、アルファベット書きの「Subculture」というのは、サブカルとおたくの両方、強いて言えば80年代初頭の「原おたく」を指すわけです。って、こんな感じですかね、演習ノート。

で、今の自分はどこにいるのか、そしてどこを目指しているのか。やっぱりサブカルとおたくを分ける塀の上を歩いているんでしょうね。風はだいぶサブカルのほうに向けて吹いていて、今にもサブカルの領域に落っこちそうですが、でもそれも思想とかが必要で疲れるから必死に落っこちないようにしている部分があるわけで。何でこんなに中途半端なのかというと、自分の目指しているところが70年代後半なのだからでしょう。まだ「サブカル」と「おたく」が未分化な「Subculture」だった時代。でももしその時代に自分が生きていたらYMOなんか絶対聴かなかっただろうし、いったい理想はどこにあるのか、などと難しいこと考えると眠くなるのでやめます。

疲れているので深夜まで学校に残ることはせずに早めに帰宅。ホウレン草と豚肉をセラミック土鍋で軽くゆでて食し、とっとと就寝。このところ本当に秒速で寝られます。


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