発達と教育2


 特に熱中しているというわけでもないのですが、毎日欠かさず続けているという点で、Web日記は私がこだわっているものといえます。

 もともと私が日記を書き始めた理由は、はっきりとは覚えていないのですが、確か、クリス・ストールの「カッコウはコンピュータに卵を産む」の中に、筆者はマッキントッシュで日誌をつけているという記述があり、それに影響されたのがきっかけだったように思います。「カッコウ〜」の中では、脚色はされているものの、筆者の毎日が詳細に描かれていました。日頃から行動の記録をつけておけば、そのように何か重大な出来事が身の回りで発生したときにそれを何かのネタとしてストックしておけると思って、行動記録という性格の強いかたちで日記を書くことを始めました。

 ちょうどそのころ、私はWebに触れる機会がありました。企業の作成したページは、見た目は良いもののすぐに飽きてしまいます。そこで個人が作成したページを中心に見て回ったのです。そのとき、多くの個人ページで展開されている日記が意外と面白いことに気付きました。まだそのころは自由にNetに接続する環境を持っていなかったのですが、何となく自分でもページを作りたくなり、もしページを公開するのなら、ちょうどいま書き始めた日記を載せることにしようと決めたのです。

 あくまで行動記録であるし、また公開するものであるので、日記で内情の吐露をするつもりは最初からありませんでした。そのため、「日記」ではなく「日誌」と名付けることにしました。ただの「日誌」では公開したときに面白みがないので、いかにも日誌らしく「業務日誌」というタイトルを付けました。

 公開していなかった最初の数ヶ月間と、公開している現在とを比べると、一見変化は見られないようにも思えますが、よく見ると、明らかに性格の異なる点がいくつか見られます。

 一番大きいのが、単なる行動記録ではなくなってきたことです。当初の「業務日誌」は、朝起きてから夜寝るまで時間軸に沿って、出来事をならべていく形でしかありませんでした。もちろん、ひとつひとつの出来事について個人的感想を書いたこともあったのですが、それはその日の出来事の範囲内でした。そのため、だいたい毎週似たような内容が繰り返されました。日誌を公開するようになると、やはり読み手の存在を考えざるを得なくなります。毎週同じ内容を繰り返すわけにもいかないので、直接その日の出来事に関係ない記述をすることも多くなりました。この時点で、すでに当初とは性質を異にするものとなっています。

 これによって書きにくくなったかというと、自由に書くことが可能になったため、実際はむしろ逆でした。ただし、面白いネタが浮かばない場合、極端に記述量が少なくなることもあります。また、私はページ上で「自分さえよければそれでいいページ」と再三にわたり表明しているのですが、実際は読者に迎合してしまっているわけで、自由に書ける反面悔しく感じる部分もあります。

 また、日誌の中に他人を登場させる場合、あまり詳しく書くのはどうしても気が引けてしまいます。他人の行動を公開した際に、もしその人物に何か不都合が起こる可能性があるからです。そのため、日誌の内容は自分自身をメインにするしかありません。それで純粋な行動記録を書くと、先に述べたように、同じような内容が続いてしまいます。だから、その日の行動と関係ない事柄や、ただ自分が思ったことを、ある程度は日誌の中に盛り込む必要が出てくるのです。

 二番目には、文体の変化があります。公開前は、ただ淡々と常態で「〜した。」「〜であった。」と書き連ねただけだったのですが、公開後は「〜じゃないですか。」「〜ですな。」というような、敬体に近い文が部分的に見られるようになりました。また、まるで雑誌のような、明らかに読み手に対する疑問形で文を終わらせる文体も見られます。全体的に、軽めの表現が増えたといえます。

 その他の変化ですが、日誌を公開するようになり、HTMLで記述することにしてから、感情表現が多くなりました。<B>タグや<FONT SIZE>タグを利用することにより、テレビでここ数年過剰に使用されるテロップのような効果を生み出すことができます。「この馬鹿!」「素晴らしい!」などの文字を強調すると、見た目にもインパクトのあるページを作れるので、感情表現の部分にタグを付け始めました。しかし次第に、タグを使いたいがために感情表現を誇張するようになり、結果として感情表現の量が多くなってしまったのです。

 最後に、なぜWeb日記をこうして続けているのかというと、実は単にページのコンテンツが思いつかないのが最大の理由です。毎日更新するのでカウンタの数字も順調に伸びていきます。ページの上ではしばしば「カウンタを増やすな」と書いているのですが、もちろん本当は増えてくれたほうが嬉しいに決まっています。

 ただ、ほぼ毎日欠かさず続けられているのだから、理由はそれだけではないはずです。考えてみると、自分の書いた文章を定期的に読んでもらうことができて、Net外の日常生活でも自分の書いたWeb日記が話題になることがあるのが嬉しい、というのがもうひとつの理由です。それだけでなく、「こないだ○○に行ったんだけどさー」というような内容のことを何回も別の人物に話す手間が省けるということもあります。また、相手が日誌を既に読んでいて、私の行動の中で興味のある部分があった場合、概要はすでに伝わっているので、その説明が省ける分、最初から内容の濃い会話をすることができます。

 以上が、私のWeb日記の概要及び分析です。これからも続けていくつもりですが、もしページのカウンタが10000人台半ばに達したら、やめてしまうかもしれません。それくらいにカウンタの数字が増えれば、それなりにページらしく格好も付くためです。


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