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2000/11/25 Sat 晴のち曇 やや寒 「出た」


昨日の夜、今日は晴であるという天気予報を見たので、急に思いついて名古屋へ行くことに。いや、目的など何もなくて、ホントにただの思いつきです。10:00くらいにのんびりと出発。ああ、経費削減のためもちろんバイクです。往復するのに消費するガソリンはだいたい10リットル弱、約1000円。国道1号はおおむね順調だったのですが、岡崎市街に入ったところで大渋滞。県道56号名古屋岡崎線(平針街道というらしい)に出るまでは苦しい思いをしましたが、そこまで出てしまえばあとは名古屋市街まで快走です。

3時間強で名古屋市中心部に到着。今日は大須にターゲットを絞って攻めることにします。寿がきやで大盛ラーメン(400円)を食して、片っ端から電気関係の店を見て回ります。何だか最近は来るたびにDDIポケットの取扱店が増えているような気がします。とにかく統一什器とサンプル商品をたくさんの店に置いてしまえというようなバラマキ行政的営業が行われたようです。マニアの集う街なので、戦略商品は当然カード型PHS。私も使っているやつです。それにしても、こういうバラマキだけでは、コンパクトフラッシュ型の「P-in」を出してきたドコモに駆逐されてしまいそうでやや心もとないです。DDIポケットは、H"を「ハイブリッド携帯」などと呼んで、携帯電話対抗意識がむき出しですが、そもそもPHSの敗因って、携帯電話とは全く違うシステムで携帯電話をやろうとしてしまったところに無理があったわけで、そのA級戦犯は他でもないDDIポケットなわけです。P-inなどを見ていると、やっぱりドコモのほうが物を売る手法に関しては上手だなと思わざるを得ません。まぁ、グダグダ言いながらも私はDポユーザーなのですけどね。

三洋堂書店上前津店、通称「パソコンΣ」(コンピュータ・電子工学・ゲーム関係の本専門の書店なのでこういう名前が付いている)で雑誌を立ち読みしていると、長髪メガネに肥満体型という「いかにも」なオタク的外見の父親と、その子供と思われる兄妹が近くを通り過ぎました。大きくてもせいぜい小学校高学年くらいと見受けられるその兄妹、聞こえてきた会話の中で「逝ってよし」「オマエモナー」などという言葉を使っているではありませんか。日本語の乱れもここまできたか。やっぱりそんな子供のときから2chを見せるのは、ちょっと考えてしまいますねぇ。ちなみにΣの3階からスタートレック等SF関係の資料書籍がごっそり無くなってしまったのを見つけて断腸の思い。かろうじてハヤカワ文庫とかはまだありましたが。

パソコンのパーツ等にはほとんど興味なくなってしまった私ですが、コードレスキーボードとか液晶ディスプレイとかUSBオーディオインタフェースとか、欲しい物はワンサカ出てきて相変わらずであります。それにしても、どこ行ってもPalmばっかりが目立つように展示してあって、ひねくれ者の私は「ザウルス アイゲッティ」を応援したくなってしまいましたよ。新機種のMI-E1なんて超小型キーボードが内蔵されていて、キーボード好きの私には非常に興味深い製品です。まぁ、当然ながら買うような金無いのですけどね。

大須で中古レコードといえば、円盤屋大須店中古専門フロアです。フロアといっても地下の狭い店舗なのですが。踏み外しそうな階段を下りて、早速物色開始……するも、LPにめぼしい物件はなさそうです。特に探しているものがあるわけでもないし、今日は店内が比較的混雑しているので、軽く見るくらいにしておこうかなと思ったのですが、一応CDの棚も見ておくことに。


M16YMOのところを見ると、もう100回は聴いたんじゃないかというくらいの見慣れたアルバム群の間に、タイトルの何も書かれていないプラスティックのケースがあるのに気づきました。何だこりゃと思って棚から引っぱり出してみると、その中には一枚の8cmシングルが。裏を向いていたので、ひっくり返して反対側を見ると……出たー! ままままままマジっすか、「M16」ですよ!! 1993年にYMOが復活する際に出た本「PERIOD」の付録としてしか手に入らないこの非売品シングル、旧YMO最後の作品として公開された映画「プロパガンダ」のエンディング曲「M16」を収録している唯一のCDであります。映画では波の効果音がかぶっているので、純粋に楽曲だけ聴けるこのCDは非常に貴重です。レア中のレア、というほどのアイテムではないかもしれませんが、少なくとも私はこれまで見たことがありませんでした。値段を見るとたったの1000円なので即買い。さすがに、レジへ持っていく手が震えましたね。

これを見つけただけでも今日名古屋へ来たかいがありました。もう後はどうでもいいという感じです。そうは言いながらもコメ兵パート2へ。店内へ入ろうとしたところで異変に気づき、入り口脇の店内案内を見てみると、呉服専門の店舗に変わっているではありませんか。どうも先日店舗改装を行ったばかりのようです。カメラやパソコン・電器関係はパート1へ移転した模様。正確には、パート1・パート2という呼称も、それぞれ本店・西店に変わったようで。

本店へ行ってみると、売り場面積はキレイで広くなったように見えますが、相対的に、うさんくさい中古商品の割合は少なくなってしまったようです。あと、最上階の楽器フロアは、ギターの占める割合がますます多くなり、私の好きな、古い謎のシンセ等はほとんどなくなってしまっていてつまらないです。ローランドのTR-808なんてここくらいでしか本物見たことなかったのに。最後に時計のフロアで、カシオの薄型腕時計「PELA」(ペラ)が復活していることを知ります。もう10年ほど前だか、先代のPELAは未来的ながらもダサくてトホホなデザインでしたが、今回はまたオシャレになっちゃって。数年前にもてはやされた「CASIOTRON」と同様、古いモデルの焼き直しだけであたかも新たなブランドを築いたかのように見せるという、相変わらずカシオは時計の売り方だけはうまいですね。

最後に、いつものように中華料理「味仙」矢場店で台湾ラーメンを食します。となりのテーブルで同じく台湾ラーメンを食していた女子高生(くらいに見えた)グループ、「台湾の人はよくこんな辛いの平気で食べるねー」などと話していましたが、電波祭的に言えば「ナンセーンス!」。名古屋に住んでいるならこのくらいのことちゃんと押さえておいて下さいよ、ここで言う台湾ラーメン、つまりこの激辛のラーメンは台湾にはありません。味仙の初代(?)店長が、担々麺を元に味付けを激辛に変えたのが今で言う「台湾ラーメン」なのです。つまり、どこで生まれたかで命名するならば「名古屋ラーメン」とするのが本来は適当なのです。なぜ台湾かというと、その店長が台湾出身だったからです。……って、私も「P.S 愛してる」(以前名古屋地区で放送していたローカル番組)か何かで見て知ったのですがね。

それにしても、今日の台湾ラーメンはニラが少なくていまいちでした。前回この矢場店で食したときも思ったのですが、やっぱり藤ヶ丘店のほうがうまいような気がします。さて、体も温まったので浜松へ向けて帰ることに。帰りは道路もおおむね順調に流れていて、3時間もかからずに帰ってこられました。その後、学校へ行って夜遅くまで雑作業等。


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