国際関係論(最終回)


第一回読書レポート対象文献:薬師寺泰蔵著「『無意識の意思』の国アメリカ」
第二回読書レポート対象文献:佐藤公久・坂本俊造共著「アメリカの寿命」
追加文献:久保悌二郎著「マルチメディア時代の情報戦略」
     青山修二・寺本義也監修「情報立国」

 これまで、世界の中の超大国アメリカに関する著作を採り上げてきた。第一回の対象文献は、アメリカという国家・国民に「無意識的」に組み込まれている移民の意思について述べたもので、第二回では、アメリカ経済の没落を予言するものだった。今回の最終レポートでは、以下の二つのテーマについて主に考察する。一つ目は、現在のアメリカで非常に重要な産業となった、情報産業についてである。このテーマの参考にする文献は「マルチメディア時代の情報戦略」を用いた。二つ目のテーマは、90年代に入ってから情報産業で勃興するアジア諸国についてである。このテーマについては「情報立国」を参考文献にする。

 まず、それぞれの文献で今回のテーマに関する部分の要点をまとめる。その後で、これまでの参考文献とも関連づけて、注目すべき点を提示し、論評を加えたい。

 「マルチメディア時代の情報戦略」は、米クリントン・ゴア政権の情報スーパーハイウェイ構想と、それを発展させたNII(National Information Infrastructure =全米情報インフラ)についての話題が中心になっている。NIIとは、全米にコンピュータネットワークを張り巡らせることを基本とした、情報インフラ整備政策のことである。

 著者によれば、日本で郵政省やNTTが計画したような光ファイバー敷設計画は、あくまで「電気通信インフラ」であるが、その点、アメリカのNIIは、二十一世紀のあるべき社会を見通したときに必要不可欠なものとして、社会共通資本としての「情報インフラ」の整備を目指したところが優れているとしている(*1)。

 米国政府が示しているNIIの目標のひとつに、「ユニバーサル・サービスの概念を二十一世紀のアメリカ国民の情報ニーズに広げる」というものがある。国民一人一人に対して、あまねく公平にサービスが提供されなければならないとする考え方である。つまり、情報について、「持つもの」と「持たざるもの」に分かれることがあってはならないということである(*2)。アメリカでは、情報化を単に産業という枠組みで考えているのではなく、21世紀の社会に必要不可欠な社会資本として捉えていることが、このことからも分かる。

 さらに本書では、NII構想の全世界版といえる、GII(Global Information Infrastructure)にも触れている。アメリカがGIIを提唱するのは、地球環境や発展途上国の問題などは、全世界での情報交換なしには解決できないという考えのためである。著者は、「次の世代が地球環境を考え、解決の手段としてGIIを活用しようとする姿勢には感銘すら覚える」(*3)とまで述べ、GIIを強く賞賛している。

 「情報立国」は、アジア諸国の情報産業について述べた文献である。中でも特に、NIESについて詳しく述べられている。NIESにはどのような情報産業があり、どんな経営が行われているのか、どんな問題を抱えているのか、そして、我々はNIESおよびアジア全体とどのようにつきあってゆくべきか。これらのような問いに対し、NIESの学者や企業経営者と日本人研究者が、共同で答えを出そうとするものである。

 多くの著者が様々な具体的企業の例を挙げて、NIESの急成長について述べている。早く(1973年)から整備した情報システムと徹底した社員教育により、優れたサービスを提供するシンガポール航空(*4)、IBM互換パソコンの生産で世界トップクラスのエイサー社(台湾)(*5)、ハングル用ワープロの開発やパソコン用OS(MS-DOS)のハングル化で急速な成長を遂げたクニックス社(韓国)(*6)などがその例である。NIES諸国の情報産業の成功例は、枚挙にいとまがない。

 NIES企業の特徴として、次のような要素が挙げられている。儒教的思想に支えられたな企業経営体制、情報化・工業化・国際化の同時進行、強力な華僑ネットワークなどである。それぞれの要素がどのようにNIESの成功に影響したのか、次のように説明される。

 儒教的思想からすれば、会社は「イエ」のようなものである。つまり、個人志向より集団志向が優先しするのである。このため、後発国でありながらも、海外大企業からの買収や合併を拒み、自分たちの会社を守りながら成長することができたのである(*7)。これは、日本の驚異的な戦後復興の要因と似ている。ただ同時に、企業に「量より質」が求められるこれからは、儒教思想が弊害になる可能性も著者は指摘している。

 次に、情報化・工業化・国際化が同時に進行したことが、どのように「成功」に影響したかである。欧米や日本では、工業化に続いて国際化・情報化が進行したという感が強いが、アジア諸国ではこれらが同時進行なので、産業革命が情報産業というステージで起きていると捉えることができる(*8)。アジアの産業勃興の原動力は、産業革命ならず「情報革命」なのである。

 また、華僑同士のネットワークは、東南アジア全体の経済自体を掌握していると言っても過言ではないほどの影響力をもっている。また、華僑たちは香港・台湾の資本家とともに、中国に積極的な投資活動を行い利益を得ていた。そのような利益源の情報も、華僑たちの人間関係の中で共有されていたのである。ただし、1997年以降のアジア経済危機で華僑ネットワークが大打撃をうけていることについて、本書ではその予想はされていなかった。

 以上が、新たな参考文献の要約である。さて、第一のテーマについて、著者の主張は次のようなものである。NIIそしてGIIの構想は、21世紀に必要不可欠な社会共通資本であり、そして、この構想によって、情報についてのユニバーサル・サービスが実現される。

 第二のテーマについてここでは、著者が考察したアジア発展の要因が正当かどうかよりも、今後ともそれらの要因によってアジアの発展は続くのかどうかという点を論じるべきだと私は考える。

 そして最後に、一連の文献を通じて何が明らかになったかを述べる。

 第一のテーマであるが、著者のようにNII・GIIを手放しで歓迎するわけにはいかないと私は考える。確かに、情報ネットワークを社会資本にまで昇華させて捉え、国家自体プロジェクトとして実行に移す姿は、日本のみならず世界各国に衝撃を与えた。

 しかし、アメリカでのユニバーサル・サービスの実現は非常に難しい。例えば、アメリカには日本の旧電電公社にあたるような企業がない。多くの電話会社が競争を行っている。どれだけの対価を支払い、どのようなサービスを獲得するかの選択は、国民ひとりひとりの自由意思である。電話会社にしろ、インターネットプロバイダにしろ、さまざまな選択の余地がある。しかし、「全ての家庭・学校に光ファイバーを」と政府主導で画一的・一方的に設置されたサービスを国民がすすんで受け入れるかというと、それは難しいのである。このことは、アメリカ特有のリベラリズムとして、第一回参考文献の中でも述べられている(*9)。

 また、元来アメリカには個別産業への政策介入を拒否する傾向があると、第二回参考文献の中で述べられている(*10)。それはアメリカ特有のリベラリズムから生まれるものであるから、現在でもこの傾向が続いていると考えるのが自然である。NII構想を進める上で、この点は大きな障害になる。現在は政府の思惑どおりに動いている情報産業も、もしも各企業の利害が対立するような局面になった場合にはそうはいかないだろう。

 第一のテーマについて、著者はアメリカ社会の根底にある共通意識、第一回文献の言い方でいえば「無意識の意思」に全く言及していない。製造業と同じような産業論では、情報産業を完全に捉えることはできないのである。

 第二のテーマ、アジアの発展は今後も続くかという点であるが、私は以下のように考える。今後とも大成功し生き残るアジア企業が存在する可能性は十分にあるが、その企業は既にアジアの独自性を主な要因として成功したものではない。

 アジアの情報産業が軌道に乗るまでは、地域独自性、アジア圏への密着度が高い状態であった。ハングルのワープロや、アジア地域を対象にした衛星放送など、自らの地域をターゲットにしたことで成長してきた企業が多い。しかし、各企業の規模が十分になった今、これから求められるのは世界の企業とも戦っていく力である。

 先のシンガポール航空などは、既に世界の大航空会社と同じだけの情報システムを備え、世界85カ国で予約が可能だという。そこにあるのは、東南アジア地区でトップの航空会社ではなく、世界の中のひとつの航空会社である。また、OSをハングル化したクニックス社も、マイクロソフトと提携しマイクロソフト・コーリア社を設立、クニックスとして韓国のソフトウェア産業をリードするとともに、世界標準のマイクロソフト・ブランドでのビジネスを展開している。

 また、成功の鍵のひとつに儒教思想が挙げられていたが、現在の日本では「年功序列・終身雇用」という伝統の崩壊が既に明らかである。これは儒教的経営方式の限界と見ることができる。同様のことが、日本以外のアジア諸国の企業にも言えるのではないだろうか。

 アジアの情報産業は、これからは世界の中の優良企業としての役割を積極的に負っていかなければ、継続的な発展は望めない。アジア式に固執していると、世界の中で依然として後発の地位に甘んじることになる。第二のテーマに対する私の考えは以上である。

 私はこれまで、アメリカが世界の中でトップである理由を、世界中から様々な人が移民して集まってきているために、その中の優秀な人材だけが特に注目されるからだと考えていた。だからアメリカは混沌としていて、共通の意識というものは稀薄なのだと思っていた。

 今回一連の文献にあたってみて、確かに、移民によってつくられた国家という点については正解だったようだが、共通の意識が稀薄という点については考えを改めさせられた。アメリカに移民して来た人々は、移民してきたのちも、移民の意思を持ち続けていたのである。例えば、政治の分野では、二大政党制にそれが見事に表れている。企業経営の分野では、失策があれば即座に経営者が引きずり下ろされ、全く違う分野からでも新しいリーダーを迎え入れるという点が、移民の意思といえるだろう。

 そして、90年代に入り凋落するかのように見えたアメリカ経済は、情報産業へその中心を「移民」させることにより、見事に生き残りを図った。しかし、クリントン・ゴア政権のNII構想は、「移民の意思」とは対立する、政府主導・画一のものである。

 このような政策が登場するのはアメリカ社会の根本の変革、と見て取ることもできるが、私はそうは考えない。アメリカの発展の原動力のひとつは、新しい「移民」を受け入れていくことである。NII構想が成功しなくとも、必ずまた新しい情報産業が、あるいは情報産業に変わる新勢力が現れるに違いない。やはりアメリカ社会の根本は「移民」にあるのである。

 また、21世紀という時代の担い手として期待されるアジア地域は、これまでは欧米にない特殊性が売り物だったわけだが、今後はそれだけでの発展は難しい。世界の企業との競争はますます熾烈になる。買収・合併などの泥臭い話も尽きないだろう。積極的に世界を意識したものだけに勝ち残る権利がある。

脚注:
*1 久保悌二郎著「マルチメディア時代の情報戦略」(日本放送出版協会,1994年)15頁
*2 同上書 43頁
*3 同上書 188頁
*4 青山修二・寺本義也監修「情報立国 何が、アジアのダイナミズムを創りだしているのか」(NTT出版,1990年)132-142頁
*5 同上書 190-194頁
*6 同上書 209-214頁
*7 同上書 236頁
*8 同上書 249頁
*9 薬師寺泰蔵「『無意識の意思』の国アメリカ−なぜ大国は蘇るのか」(日本放送出版協会,1996年)162-163頁
*10 佐藤公久・坂本俊造「アメリカの寿命」(PHP研究所,1991年)110頁


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