本著は、わずか二世紀あまりの間にいかにして超大国アメリカは形成されたのか、そしてこれからアメリカはどのような道をたどるのかを考察した文献である。考察の過程では、世界の他の大国とアメリカとの比較や、他の大国とアメリカとの関係の分析が行われている。それらをまとめ、著者の主張について考えてみたい。
筆者は、アメリカはヨーロッパ諸国とは全く異なり、一言で言うなら「無意識の意思」を持った国家だと述べている*1。その主張は次のようなものである。ヨーロッパ諸国や、それを目指した日本は、政府や軍部など「国家の中枢」による「意識的な意思」を持つ。しかし、アメリカはそうではない。アメリカは移民でつくられた国で、アメリカ大陸内でも西へ西へと移民してきた。西海岸までたどりつき、移民するところがなくなった彼らは、次に「経済移民」を始めた。二大政党制、技術革新による大企業の世代交代、失敗すれば組織のトップはすぐにやめさせられること、これら等が新しい移民の方法である。アメリカは、自ら生まれ変わる能力が、無意識的に、既にプログラムされている国家なのである。
筆者は、国が大国になるためには、国民が国家からのメッセージを無意識のうちに受け取っていることが重要としている*2。そのメッセージの内容は、「実験国家」「単純で強いイデオロギー」「歴史の封じ込め」「技術主義」「よそ者主義」であるという。これらはそのまま「大国への条件」とすることができる。これらの条件について筆者はひとつひとつ深い考察を加えている。
例えば「技術主義」「よそ者主義」について筆者は、フランスの軍事技術やイギリスの民生技術との関係を紹介して考察している。アメリカの技術はもともと、砲台の部品を統一したりライフル銃を規格化したりする、フランスの軍事技術の模倣から出発しているという*3。技術者の中にはフランスかぶれの技術を好まない者もいたが、結局成功したのはフランス式のほうで、それを主流にできたからアメリカは成功したのだと言っている。また、アメリカの綿製品がイギリスに勝てたのは、イギリスの紡績技術をスパイしたからだという。完全にイギリスを模倣した上で、イギリスを超える技術を開発することができたのだという。
アメリカで花開いた先進的な技術を持っていたのは常に「よそ者」である。一般に社会では、地域の秩序を守るために、他の地域から来た「よそ者」は排斥される。そのため、技術というものは本来、その土地の秩序の中で生まれ、その土地に貢献するものである。しかしながら、アメリカでは「よそ者」を新たな国民として受け入れることができたのが強みである*4。言うまでもなく、それはアメリカが移民で形成された国家であるためである。
筆者による主要な主張は「アメリカはヨーロッパ諸国と異なる移民国家であり、国民が持つ『常に移民を続ける』という『無意識の意思』により発展してきた」ということである。そして「無意識の意思」から、アメリカ特有の一本調子のリベラリズムというイデオロギーが生まれ、また、技術についての強さが生まれたのだという。
もう一つ、本書の最終章では、アメリカの凋落の可能性について触れている*5。筆者は、アメリカが凋落するときとしていくつかの場合を挙げていて「国論の分裂がなくなり進取の気迫がなくなったとき」「新しいものをつくるのをやめたとき」「新しい大実験国家をつくるという野望が消えたとき、また、自らのみがそのような国家をつくることができる、と傲慢になったとき」とある。共通しているのは、「移民」をやめたとき、すなわち「無意識の意思」が失われたときである。
「無意識の意思」の存在について私が考えるのは、果たしてその意思を「無意識」と呼ぶことが妥当かどうかということである。アメリカ国民全体に、何らかの移民的行為を実行し続けるという意思があることは間違いない。政策の失敗ではなく人間関係のトラブルによって大統領の弾劾が叫ばれた先の例などもその現れの一つであると考える。ただし現在では、移民の意思は「意識的」なものである。大統領の弾劾問題も、国民の多くが関心を持って意見主張を行ったというよりは、政治家など中枢部の人間によって意図的にムーブメントが引き起こされたという状態であった。筆者の主張する「無意識の意思」は、その内容については賛成できる点が多いものの、「無意識」という表現は適切ではないと私は考える。
アメリカ凋落の可能性については、筆者の主張するとおり移民の意思が存続するか否かにかかっていると考える。ここ数年アメリカが好況と言われ続けている。その強力な牽引役がコンピュータビジネス、中でもとりわけネットワークビジネスである。コンピュータネットワークは、まさに新たな移民先である。また、NATOのユーゴスラビアへの武力行使も、移民先を探し続けるアメリカらしい行動と言えるだろう。ただし、作戦が必ずしも成果をあげられていないのは、前段で私が述べたとおり、武力行使がアメリカ国民の「無意識の意思」によって行われたものではなく、権力者の「意識的な意思」によるものであるからという解釈が可能である。
本書全体を通じて、「アメリカはヨーロッパ諸国とは全く異なる」という主張が見られる。「欧米諸国」という言葉が日本語には存在することからも分かるとおり、日本からは一見、アメリカとヨーロッパ諸国は同様に思われている。「意識的な意識」がベースのヨーロッパとはアメリカは違うのだ、という主張は、多くの日本人にとって新鮮なものである。
脚注:
*1 薬師寺泰蔵「『無意識の意思』の国アメリカ−なぜ大国は蘇るのか」(日本放送出版協会,1996年)10-12頁
*2 同書 22頁
*3 同書 106頁
*4 同書 152頁
*5 同書 211-221頁