Home

2000/09/10 Sun 晴のち雨 暑 「二転三倒」


(前回までのあらすじ)
夜11:40室蘭発大洗行きのフェリーに乗るべく、道央道を西へ走る日本最北端の男であったが、燃料が残り少なくなりサービスエリアも見つからないため、やむなく登別東ICで下りる。しかし、あたりのガソリンスタンドは全て既に閉店時間を迎えていて、近くのコンビニで尋ねてみても、夜遅くまで営業しているスタンドは室蘭まで行かないとないという。
途方に暮れて、あてもなく登別の温泉街へ入っていくと一軒だけ小さな旅館が開いていて、一晩世話になることにしたが、ひょんなことからその旅館で青森からやってきたという一人旅の女性A子と出会う。お互いの出会いに運命的なものを感じた二人はすっかり意気投合し、ペトロハバロフスクカムチャツキーへ移り住み、共同生活が始まった。観光客向けのインターネットカフェ「来夢来人」を営み、貧しいながらも幸せな毎日を送っていたが、そんなロシアでの生活も2年目を迎えようとしていたある日、一本の国際電話が日本からかかってくる……(後段ウソ)。

セブンイレブン登別東町店の店長さんにガソリンスタンドの位置を教えてもらいますが、とてもそこまで行けそうなガソリンは残っていません。朝までここからバイクを動かせないとなるとこりゃもう軒下でも借りて一晩過ごすしかないわけで、覚悟を決めます。それにしてもさっきからけっこうな雨で、この雨の中一晩となると考えただけでも気が遠くなります。

肩を落として店を出ると、「あのー、スタンド探してるんですか?」と若い男の人から声をかけられます。どうも事情を聞いていたようです。「もしよかったら、僕のクルマでスタンドまで往復しましょうか?」おお、何ていい人! 天の助け!「いえいえ、夜も遅いですし、御用事とかあるでしょうし、そんな」などと口では言いますが、顔はもう「いやー助かります、ぜひお願いします」モードです。非常にあつかましいですが、ここでお言葉に甘えるしかピンチ脱出の方法はないと思い、連れていってもらうことにします。「見ず知らずの者にこんな親切なんて、ひょっとしてクルマの中で襲われたりしたらどうしよう」とか、いやそんなこと考える余裕もありませんでしたって。

確かに、そのガソリンスタンドまではクルマでも30分くらいかかりました。さて、次の問題は、ガソリンの入れ物です。どうやってバイクのところまでガソリンを運びましょうか。なんて考えながらガソリンスタンドまで来てしまったので、ひとまずバイトの兄ちゃんに事情を話します。「えーと、貸出用のポリ容器もあるんですけど、社員がいないと貸しちゃいけないことになっていて……」げ、ちょうど今社員のひとがいないみたいです。「ちょっと待って下さい、オイル缶の空きか何かないか探してきますから」いやマジっすか、何かもういろんな人に迷惑かけてしまってほんとムチャクチャ恐縮であります。しばらくして兄ちゃんが返ってきて「うーん、ちょっとないみたいですねぇ……」そこで私は思いついたので、「あ、いいですよ、そのへんのコンビニでペットボトルの水でも買って中身空ければ2Lは入りますから」と言うのですが、「いえ、いいですよいいですよ、ポリ貸しますよ」とポリタンクを貸してくれました。マジで申し訳ないっす。

ポリタンクに入れたガソリンを持って、再び登別へ戻ります。クルマを出してくれた兄ちゃん「あとはフェリーに間にあうといいですねぇ」「そうですねぇ」しかし、はっきり言って私はもうこの時点でフェリーはあきらめていました。11:40発とはいえ、どれだけ遅くても出発30分前くらいには港に着いていないと、切符を買う時間や、船にバイクを入れる時間がないのです。船と岸をつなぐブリッジが上がってしまう前に乗船手続きを済ませないといけないのです。もう10:40を回っていたので、これからガソリンを入れて、ポリタンクを返して、室蘭まで走って、切符を買って、などとしているうちにフェリーは出航してしまうでしょう。

最初のコンビニに到着し、何度もお礼を言って兄ちゃんと別れ、ガソリンをタンクに注いで、ポリタンクをワイヤーでバイクの横にぶら下げて、先ほどのスタンドへ戻ります。11:00を回って、もう閉店してレジ閉めをしているところでした。こちらでも何度もお礼を言ってポリタンクを返します。栗林石油室蘭日の出SSの担当松井さん、ありがとうございます!

さて、フェリーはもうまず無理なのですが、それでも、一応切符売り場のカウンターで「もう遅いですよ」と言われて、ボーという汽笛を鳴らして出航するフェリーの姿を見ないことには、このドラマは終わりません。少なくとも私の性格的にそこまでやらないと気がすまないのでそこまでやることにします。室蘭港へ。

到着したのは出発13分前の11:27です。フェリーの受付カウンターへビショビショのカッパのままで行き「すいません、予約も何にもないんですけど、大洗まで、まだ間にあいますか?」「えっ、大洗ですか? もうすぐ出るんですけど……、大至急乗船申込書書いて待っていて下さい、バイクですね?」あらら、あきらめていたのに何だか望みが出てきてしまいましたよ。「はい、大丈夫です、9200円になります。現金でよろしいですね」うわ、乗せてくれるんですか、ありがたい。えぇと、お急ぎのところほんと申し訳ないのですけど、今ちょっと現金が足りないので、カードで……。売り場の担当の人の動きが一瞬止まってしまいました。呆れさせてしまったようです。

とにもかくにも、本来バイクを停めるようにはできていないと思われるスペースに1台だけ無理矢理停めさせてもらって乗船完了。船内アナウンス「大変お待たせいたしました、本船定刻の10遅れ、11:50、室蘭港を出港となります」申し訳ありません、私のせいです。乗船後は体をふいて、疲れですぐに就寝。というわけで、やっと9月9日が終了。


太平洋側は海が荒れていて、けっこう船が揺れます。同じ部屋にいるちょっとガラの悪い連中が、みんな酔ってしまったようで、しょっちゅうトイレに吐きに行っているのが面白かったです。という私も、船内で日誌を記述していたら少し頭が痛くなってきましたが。さすがに揺れの中で小さい文字と小さいキーボードはきついです。観念して、昼間もほとんど寝ていました。

10日の夕方18:30に茨城県の大洗港に到着。まさかちゃんと予定通り帰ってこられるとは。とにかく今は腹が減っているので、近くのミニストップで弁当を購入して食しつつ、日誌の更新。その後、北関東道→常磐道と高速道路を乗り継いで、首都を目指します。

夜は次第に更けていくはずなのに前方は次第に明るくなってきます。そうです、キャピタルが近づいている証拠です。(BGイン「TOKIO」沢田研二)チャッチャラッチャッチャッチャッチャチャラー チャッチャラッチャッチャー 常磐道の終点に到着し、首都高三郷線へ入っていくのですが、この三郷ジャンクションがムチャクチャ美しい! 以前国道246号から見た横浜青葉インターには及ばないかもしれませんが、ここの道路の曲線もまたシビれるものがあります。

そして首都高、これがもう道路の曲線が素晴らしい。ビルの合間を縫って縦横無尽にクネクネと進むその道路は、土地の無さから生まれた苦肉の策であることは間違いないのですが、何本もの道路が複雑に絡み合って、また分岐していくその様子は芸術的でさえあります。いや、むしろ官能的というべきでしょう。首都高はたまらなくセクシー。この道路を見ているだけで下半身に来るものがあります。

で、私の首都高初体験のルートは、「6→C1外→9→B→11→高→Y→C1内→3」でした。6号三郷線から都心環状外回りへ入り、一周して9号深川線から湾岸線へ出て、ビッグサイトやパレットタウンを眺めつつ11号線レインボーブリッジへ。無意味に東京高速道路線、八重洲線を経由して環状内回りへ、そして3号渋谷線へ出て東名高速へ抜けます。700円でここまで楽しめるなんて、首都高は素晴らしい! 中央環状線C2が完成すればもっと楽しめるはず。でも、ただでさえ慢性渋滞の渋谷線で工事をしていてさらに大渋滞になっていたのがちょっとゲンナリであります。

あとは東名高速を東へぶっ飛ばすのみ。なのですが、ここ数日高速道路に金を使いすぎているので、御殿場ICで下りて後は下道という節約コース。深夜ならこれでもストレスなく帰ることができます。途中静岡市では私の古巣、サークルK静岡石田店へ寄って夜食。新しい人が働いていたので話が盛り上がるようなことはありませんでしたが、聞く限りでは店長もお変わりないようで。後は国道1号を浜松まで進みます。もう何度と無く通った、目をつむっていても帰れるくらいの道であります。

っていうか猛烈な雨が降り始めてあまり前が見えなくて、本当に目をつむっているかのようですよ。前のクルマのテールランプの動きを記憶して、それを慎重にトレースしていくという走りです。いやマジで。素直にテールランプについていって、自分の目的の道からはずれてしまうこともありました。ほんとそれくらい雨が激しくて、カッパをしっかり着込んでいても中まで染みてきます。結局、浜松へ帰還してきたのは深夜の3:30でした。いや疲れた。特に目が。

というわけでこの6日間の走行距離は約2000kmでした。北海道の走りも確かに良かったことは良かったのですが、えーと、全行程の中で一番良かったところというのは、えー、やっぱり首都高でしょう。


前日へ 翌日へ 今月の目次へ 1998年の同日へ 1999年の同日へ

Home