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2000/06/09 Fri 雨 やや涼 「プレゼン」


昨夜は結局4:00過ぎまで英書購読の発表の準備をしていました。作った資料はせいぜいこの程度ですが、20ページある担当分のどこを重点的に採り上げるべきかを考えながら本文を読んでいると意外に時間がかかりました。

で、起きるともう1:30です。午前中の授業が終了しているのは言うまでもなく。フラフラ起きあがって、カッパを着込んで学校へ。資料をプリントアウトして用意するとちょうどゼミ開始の時間になります。今日は私の発表の前に、同じくゼミ生によってJPEG圧縮技術についてのプレゼンが行われ、久々にテクニカルな議論になって興味深い。

今年の我がゼミの英書購読では、「japan edge」(Cadence Books, 1999年)という日本のサブカルチャー解説書を読んでいます。トピック毎に分かれた章を順番に一人ずつ担当する形で、今日は私が担当するノイズミュージックの章であります。しかし私を含めみんなノイズの知識などゼロに近いので、何のことやらさっぱりという具合ですが。

私は、いわゆるノイズアーティストの音源は所有していないので、その代わりに、敬愛するROM=PARIのアルバム「VIEW」から、最もノイズに近いと思われる曲「A MAN CALLED ROM=PARI」を再生して、室内をノイジーな空気で満たしておきます。しかしROM=PARIはノイズにはほど遠いですがね。この曲以外はまともですし。

で、まぁ代表的なノイズアーティストを簡単に紹介したり、なぜ世界のノイズシーンの中でとりわけ日本が注目されるのかなどを考えたりして、結論は「ノイズはノイズであってメインストリームたりえない」というところに落ち着きます。当たり前ですが。ただ、じゃあ一般的に聴かれている人気のある歌謡曲、いわゆる「J-POP」などは、ノイズの反対で心地よい音楽なのかというと、そうではないでしょう。あくまで、心地よいと思う人が割合的に多いというだけのことで、J-POPを騒音だと感じる人もいる、そういう層も確実に存在するのです。

だから、商店や繁華街などあちこちでBGMとして流れている音楽は、これほど暴力的なものはないのです。マジョリティによるマイノリティーの迫害なのです。知らず知らずのうちに、音の暴力をふるってしまっている人も多いのでは。それに気付いてほしくて、時として私は売れている音楽のことを「ゴミ」「糞尿」と書くのであります。なんてね。

ゼミ終了後夜になって、ゼミ室にiMacが搬入されてきました。これまでWindows環境しかなかったところに、ようやくMacintoshの登場です。セットアップアシスタントを起動する度にいちいちフルスクリーンでムービーが再生されて辟易したり、電源投入後10分で早くも最初のフリーズをかましてくれたりとなかなか愉快なジョブズ君でありますが、まぁあまり気にすることもなくセットアップ。

Macintoshのネットワークまわりの設定には慣れていないので往生こきますが、AppleTalkというプロトコルは早い話がWindows(とOS/2)でいうところのNetBEUIかと分かって、ネットワークプリンタで印刷できるようにしてみたり。たぶんAppleTalkをNetBEUIがまねたんじゃないかと思いますが、どうなのでしょうね。それにしても、MacintoshとWindowsでファイルの共有ができないのは不便ですな。NT(2000)かLinuxでサーバを立てれば解決するのでしょうが、マシンも利用者スキルも足りません。

夜中の12:00前までMacintoshをいじって、うちへ帰る前にバイト先にCDを返して、ちょっと店を手伝ったりして、帰ってきて日誌を書いて。結局今日も寝るのは4:00くらいのようです。


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